外傷理論を取り込んでいた マイケル・バリント(1896~1970) |
バリントの理論で一番知られているのは、いわゆる「基底欠損basic fault」という概念である。バリントは、これが母子間に生じることにより、後に重大な精神病理をきたすとした。彼はこれがある種の養育上の問題、不十分さ、であるというニュアンスをこめている。が、この「基底欠損」翻訳を宛てた中井久夫先生には申し訳ないが、ニュアンスを正確に伝えていない恐れがあるように思う。
英語の fault は、欠損 deficit というよりは、過ち、すなわち正常とは違ったことが起きた、というニュアンスがある。basic fault も、その意味では、「母子間に生じてしまった根本的な過ち、間違い」というニュアンスがあるのだ。バリントは次のように書いているのを、私自身が訳してみた。ここでfault を不具合などとしているが、そのほうが「欠損」よりはニュアンスを伝えているからだ。
「第一に、彼は何か自分の中に不具合 fault があると感じる。つまり直すべき不具合である。そしてそれは、コンプレックスではなく、葛藤ではなく、状況でもなく、不具合 fault であるというのだ。そして第二に、子供は誰かが、自分を駄目にしたfailed か、あるいはなすべきことを怠った defaulted on という感覚を持つ。(傍線岡野)そして第3に、このことはその領域に関して多大なる不安を起こさせ、それを今度は分析家には決して繰り返してほしくないという要求をして表現される。」 (He feels there is a fault within him, a fault that must be put right. And it is felt to be a fault, not a complex, not a conflict, not a situation. Second, thre is a a feeling that the cause of this fault is that someone has either failed the patient or defaulted on him, and third, a great anxiety invariarbly surrounds this area, usually expressed as a desperate demand that this time the analyst should not – in fact must not fail him. (Basic Fault ,P21.)
これでもまだ basic fault の正体は見えにくいが、一番説得力があるのが、彼が同じページで彼があげている例えである。彼はこのfault という表現は、地質学や結晶学でも使われているという。それは「全体の構造の中に突如見られる不規則性を意味し、その規則性は普段は姿を現さないが、ストレスがかかると全体の構造の崩壊を導くようなものである」という。
彼がこの basic fault を別の箇所で「外傷」と表現していることから、この結晶の不規則性は、ある種のトラウマとして位置づけられるべきものであることがわかる。しかし依然として、それは見えにくい、隠微な形で生じるそれである。バリントはそれを母親からの加害行為、という明確な表現のされ方などはしていないこともわかるだろう。 それは結晶構造の本来の問題かもしれないし、そこに加わった外的な影響、それも傍目にはわからないような微妙な影響かも知れない。恐らくその両者の相互作用で生じたものであり、それは隠微でかつ重大な亀裂がそこから将来生じるかもしれないような問題を残してしまったのだ。それを明確な外傷、対人外傷と表現できるものかといえば違うだろう。それは何らかの環境との行き違いであり、多分に相互的なものであろう。しかし患者にとっては主観的には、養育者が自分を「駄目にした、なすべきことを怠った」という印象を持つ。つまり被害者として自分を意識する可能性が高いのである・・・・。
私が「関係性のストレス」としてあらわしたいような母子間のストレスもまさにそのようなレベルのものなのである。そして関係性のストレスは、それこそ母子間の完成のずれ、ちょっとした言葉のニュアンスの違いから来るミスコミュニケーションという形をとりうる。そこから心の結晶は不規則な配列を生じ始め、それが解離症状の始まりを意味することが考えられるのだ。ところでこれを論じていくと、「親子関係」という途方も無い問題へと踏み込むことになる。(しばらく続く)