2011年1月6日木曜日

快楽の条件 その9  行動の完結そのものに快感がある

もし私が食事を開始したら、よほど途中で満腹になったり食欲を失ったりしない限りはそれを終わらすことに専念するだろう。また映画館に入り始めた映画鑑賞を、残り5分を残して中断して出てきてしまう人も珍しい。また何らかの文脈で自分の名前を書き始めて、途中でやめるということなどあるだろうか? 皿に盛られた食品を全て食べないと必要なカロリーを摂取できないから、映画の最後のシーンに秘密を解く鍵が隠されているから、書きかけの署名は用をなさないから、という理由以上に、私たちはものを完結させたいという欲求から、それらを最後までやり通す。完結それ自体が快楽的だからだ。だから私たちはあまり面白くない仕事でも、やり始めたら最期まで続けるのである。やり始めるまでは散々迷っても、いったん始めたとしたら、それを完結したいという欲求が突然増すとしか言いようがない。 ゲシュタルト心理学は、このような人間の性質に注目した学問であるといえよう。全体としてまとまったものがドイツ語でいうゲシュタルト(Gestalt)だが、それを試行するという人間の脳の性質に注目した心理学がこのゲシュタルト心理学である。
さてこれと深く関係しているのが、解離理論における「離散行動モデル」であると私は考える。人はどうして異なる自己状態を有する傾向にあるのか?どうしてスイッチングを起こすのか。それは行動がひとつの完結を見ることで次に移るような間隙が生まれるからであろう。ということで続きはあす。