2010年12月30日木曜日

年末の雑感その1

昨日家人が見ていた番組(たけしの何とか何とか)に出てきた、鳩山邦夫の言葉。「これ、もう言っていいかな?」ともったいつけた後に出てきた彼の話は、やはり彼らしい。法務大臣として死刑を執行した時の話だが、M氏事件については順番を無視して犯人の死刑執行を行ったという。その根拠が、彼の主観に強く感じられる「こんな凶悪な犯罪を行ったものは、死刑執行をされるべきである」という思いだという。そしてその犯罪の凶悪さは、それにより人が何人犠牲になったかということとは別の問題である、と確かに言っていた。邦夫氏が時々、事を行う際に見せる確信に満ちた態度、それは一歩間違ったら非常に独善的なものになりかねず、その意味で彼は政治家としての資質を欠いていることは明らかであろうと思う。もちろん他にたくさんの才能を持つ人なのだろう。聞けば由紀夫氏とともに虫おたくであるという。学者としても大成したかもしれない。小役人でもひょっとしたらいいかもしれない。でも国政を任せる人として不適格なのは、一歩間違うと極めて独善的な決断で多くの人を犠牲にする可能性があるからであろうと思う。
(ちなみにここに述べた意見は、私が死刑制度の維持に賛成か、反対かという問題とは全く別のことである。)
ところで・・・・・
昨日は本当にしょうもないことを書いた。しかししょうもないことをあっという間に発信できるこのインターネットの世界は恐ろしい。少なくとも発信する側の一方通行という形にして、受け手のことを一切考えないという今の私のやり方でしか、この恐ろしさに対処できない気がする。
今年5月のGWから何の前触れもなく始まったこのブログであるが、最終的にどのような形になるかを模索する数ヶ月であった。その模索は今でも続いているが、スタイルは私の中では定まってきてはいる。それは自分にとってこの機会を利用し、書き続けるとしたらこのようになるしかない、という方向に向かってきている。明らかに執筆のために使っていることがある。本を書くために原稿を書きためる作業は、具体的な先の目標(一種の締め切り、原稿を見せる編集者など)を持たない限りモティベーションを維持することが大変である。このブログはそれを仮想的に作ることができる。
もうひとつの利用の仕方は、発想を書き留めておくという機会とすることである。これは一種の日記であるが、私の場合はそれを読み返さず、後に散逸することは分かっているので、このブログはそれをいくらかは防いでくれる。
Last, but not the least, これはもちろん考えを他者に伝達する手段である。しかしそれが押し付けになっては意味がないので、私のブログを読んでほしい、とは誰にも言っていない。(院生に一人二人、言ったかもしれない。)むしろ「読まないでほしい」ということのほうが多いのではないだろうか?しかし奇特にも読んでいただいた方とのコミュニケーションの機会があると、少なくとも私にとっては非常にありがたい。細かく考えを伝える手間が省けるからである。
ということで年が明けてももう少し続けようと思っている。ただし自己防衛のためにも、次のようなdisclaimer が必要であろう。


このブログは、決して職場のコンピューターで、勤務時間に執筆したものではありません。(というより、職場でインターネットを用いて職務以外のサイトを閲覧したことは一度もありません。)更新は常に職場とは無関係の自分のコンピューターで、しかも勤務時間外(昼休み時間は除く)で行っています。あるいは万が一勤務時間に行うことがあったとしても、職務に関連したこと(精神科の診療に深くかかわり、その啓蒙活動の一環として行ったもの)です。アブナイ、アブナイ。