2010年11月12日金曜日

フランス留学記(1987年) 第八話  パリ最後の夏(5)

今日は勤務先の休み時間に、私の本を読んだという方の訪問を受けた。Kさん。DID の診断を持ち、しっかり主治医をもっておられる。ということは私の患者さんではなく、だから読者の一人、というわけだが、そうすると出会い方がまったく違うのが面白かった。Kさんの交代人格のひとりの「ゆかり」さん。私がずいぶん前に書いたキャタピーについてのブログを褒めていただいた。私の「天才息子」の話である。読んでいただいてありがとう。
久しぶりの留学記。まだ一回分余っている。今週末で最終回ということになる。


8月になり、病棟で過ごす日にちがいよいよ残り少なくなると、私は間近にフランス人に接しながら生活するのもこれが最後と思い、少し欲張って彼等の背負っているフランス文化と日本文化との比較の総括を、彼等を横目に見つつ試みてみた。それはつまるところ彼等の文化を日本のそれに比べて「進んだ」ものとして提えるべきか、ということについての私なりの検討ということになる。勿論彼等フランス人の「文化」と言っても、私がこの病棟で見聞きしたことの中に現われるそれとしてしか語る事は出来ないのだが。
フランス人がその人生の中で最も重んじるものの一つとは、自分自身の自由と権利、ということだろう。しかしそれは他人に対しても同様のことを認める以外には成立しようがない。そこで彼等の行動の原則は、自分の権利を可能なだけ主張すること、そして他人の権利を最低限は認めること、という言い方でとりあえずは単純化出来る。これは勿論状況に応じて様々な形で現われるが、特に対人接触に関しての現われ方はどうか。先ずとにかく彼等はよくしゃべり、自己主張が強い。しかしそこでは相手も自己主張をして来ることを想定しているし、それによって一種の競合関係が成立し、その中で互いにどの様に譲歩し合うべきかが検討される。これらは彼等にして見れば当然の論理ということになるし、それが親しい友人関係での自然な会話の形をとっている、ということもある。またこの自己の権利の主張は必ずその具体的な根拠を必要とするため、彼等は具体的な数値や歴史的事実にしばしば非常に精通している。彼等は会話の中でそれを延々と述べたてるのである。
そしてこの様な関係に入り込むことに慣れていない人間に対しては、彼等は極めて冷徹に拒絶を示す事があるのだが、それをしばしば地でいった私自身が具体的にどの様な目にあったか。先ず声が小さいから初めから向こうはその主張の内容を聞く前にこちらを低く値踏みしてしまう。おまけに言葉が不自由だから主張はどうしたって力を持たない。それに力対力という関係に慣れていないから、相手が勢いを得てしまうといよいよ形成の逆転が難しくなる。彼等はこちらの弱みを見ればそれに付け込むことの方が発想として自然だが、私は弱みを持った自分は同情される方が自然だろう、と思う習慣が身についているので、どうしても彼等の対応に対して失望して仕舞う。私は病院以外で日常の用事を済ます場合、同じようなことでみじめな思いを一年前とさして変わらなく体験している。病院でそれとは多少事情が違うのは、そこでは私の関与している事柄が少しはあって、それについての主張すべき内容もあり、それを他の人がある程度受け入れる、という状況が成立しているからである。彼等が私の思考行動パターンにある程度慣れてしまつている、ということも大きいだろう。
そこで結論を急ごう。この様なフランス人の意識は日本人より「進んで」いるのであろうか。私はやはり「進んで」いるのだと思う。自分がどれだけの自由をもっているか、ということの自覚を深めること自体が、自分の所属する国や文化が一定の時代の推移を経過し、ある一定の学習を経て来た、ということを前提としているからである。日本人は少なくともフランス人ほどにその自由を自覚するに至っていないし、その自由の意識は、はそれを依り深く自覚している他人に触発された場合に不可逆的に進む可能性があるのである。私自身もパリの人々と接して、自分の権利や自由の可能性に新たに目を見開かせられた部分はあった。