2010年11月27日土曜日

治療論 15 治療者の言っていい冗談と悪い冗談

今日はフロイト全集(Standard Edition)の一冊をPDF化してみる。私にとっては、本をばらしてスキャンして捨てる、という罰当たりな行為をするのに一番ためらいのある本である。

治療者は冗談を言っていいのだろうか?もし言うとしたら、何がその素材となるのだるか?これが結構むずかしいのだ。ある意味では数日前に論じた柳田法相の失言問題とすこし似ている。政治家が人前で行うスピーチは、かなりの気分の高揚をともなうものだ。ある程度テンションを高めないと、通勤や買物の途中でわざわざ足を止めている聴衆も付いてきてくれない。そしてスピーチモードにある心は、通常の心のあり方とはかなり異なったものとなる。それは彼らの街頭演説の仕方を見ても分かるだろう。あの小沢さんも、夏の民主党の代表選ではあれだけ雄弁になり、サービス精神を発揮したではないか。そして政治家が熱に浮かされて通常の判断能力を失いかけている分だけ、そこに不用意な発言が紛れ込む可能性も高くなる。 
それに比べれば、一対一でクライエントと向き合う治療者の場合は、事情はかなり異なる。しかしそれでも治療者は時には患者との話を盛り上げようとして冗談を言うこともある。患者をリラックスさせ、また親しみを示そうとする過程で、口が軽くなり、ふと余計な言葉が出てしまう場合もあるのだ。また治療者は、治療中にざっくばらんに冗談でも言って、患者と大きな声で笑いたいと思うこともある。私が昔属していた診療所で、よく隣のオフィスから患者さんと一緒になった笑い声を上げていた治療者がいたが、彼女はとてもいいセラピストだったことも確かである。
しかし治療者にとって患者はサービスを提供する対象であるから、笑いを誘うにしても慎重さが必要となる。まず患者さんの身なり、身体的な特徴、癖などを話題にしたジョークが禁句なのは当然だ。そんなことをするのはよっぽど意地悪な人だと思うかも知れないが、私たちの日常生活では、夫婦間や気のおけない仲間同士の会話には、かなり相手を「いじる」ジョークがかわされる。お互いに相手があまり気にしていないと分かっているようなくせとか特徴をほのめかす会話はかなり多いことにあらためて気付かされる。
しかし治療者患者間では、お互いにかなりの時間を共有し、気心が知れた様な関係でも、その種のジョークは禁忌である。治療の場ではいかなる形でも、治療者が患者を意図的に傷つける行為は許されない。治療は外傷的な要素を孕むことは、純粋な不可抗力を除いては許されないのだ。
このことは裏を返せば、治療者は自分を嗤うジョークであればとりあえず「安全」であるということになる。しかし治療者が自分について語り、いわば自虐ネタで笑いを取ろうとすることも実は問題になることが多い。自虐ネタは当然治療者の自己開示をともなう。治療者の方は、私は特に何も隠すことはない、というおおらかな気持ちかもしれないが、患者の身になったらそんなこと「聞きたくもない」かもしれないのである。治療者の存在は、いろいろな意味で気になるのであり、自分を表現するとしても、著書なりブログなりですればいいことだ。(といってこのブロクを正当化する。)
そんな条件下で治療者は安全で患者と楽しむことの出来るジョークを言えるのかと思うのだが、私には時々気がついたら患者さんと大笑いをしているということがある。そういう時は実に楽しい瞬間なのだが・・・・・。今思い出そうとしても、何の話で笑ったのかがさっぱり思い出せない。まったくの偶然の産物なのだろうが、何かについて一緒に笑う機会があるのは確かだ。ただひとつ言えること。冗談を言って患者と共に笑うという「技法」などは、どの精神療法の指南書にも載っていないだろうということだ。