2010年10月31日日曜日

前原外相が中国から「トラブルメーカー」と名指しで非難されたそうだ。しかし中国にしても北朝鮮にしても、国としての対応が、あたかも人格を持った人のように感じるのはどうしてだろうか?基本的にはだれか一人のリーダーのパーソナルな反応がそのままおうむ返しに伝えられるのだろうか?かねがね不思議である。うちの神さんなど、中国側からの報道、例えば「日中首脳会談が中止になったのは、すべて日本側の責任である」という報道を聞き、あたかも中国、という人に対してそうするのと同様に腹を立てている。私はその分あまり腹を立てなくてもすんでいる。
それにしても国が成熟するプロセスというのは面白い。日本人は中国で日の丸の旗が焼かれても、騒ぐ人などいない。醒めている。これは日本という国やその国民がそれだけ成熟しているから、オトナだから、と言えないこともない。しかし同時に日本という国のシステムがこれでもうまく働いていて、人々が基本的には幸せに暮らしているから、ということも考えられる。衣食が足ると、人は社会に無関心になっていくのだろう。自分個人の生活をより高めることにより関心が向くからだ。でもこれは進歩を意味するのだろうか?とにかく日本は過ごしやすい。でもそのことがどこか不安にさせるのである。