2010年11月1日月曜日

フランス留学記(1987年)第七話 ライネック病院 精神科病棟(4)

ついでにもう少しパリでの精神科医療について述べてみよう。パリには精神科における療法はほとんど出揃っている印象を受ける。そしてそれはそれぞれの療法家の機能分化が進んでいる、ということでもある。特に60年代からフランスの精神医療場面に広まった精神分析的な流れは、それから派生した種々の療法と共に定着していった様である。精神分析家や弛緩療法家は大学ないし市中でそれぞれ独自に治療を行ない、大学の外来に初診で訪れた患者はその症状に応じてそれ等の専門家に紹介される。
精神分析以外にも、たとえば現象学的精神医学は、フランスではミンコフスキー、エイ以来遇塞した状態だったが、近年になってぺリシエ教授の他にパリのロンテリロ-ラ、フェルナンデ・ゾイラ、シュテール、マルセイユのタトシアン等の業績が注目を集めつつある。行動療法的アプローチや家族療法はまだ限られているらしいが、これから盛んになる可能性は大きい。ちなみにネッケルではアメリカでの一年の留学を終えて来たばかりのロロール副医長を中心に脱感作療法や assertive therapy が試みられ始めている。学部の精神科の専門講義ではゲシュタルト療法、バイオ・エネルギー、家族療法、交流分析、サイコドラマなどなど、主としてアングロサクソン系の療法についての講義が大半を占めている様である。
ちなみに精神分析について付け加えれば、私はフランスにおけるその普及は宿命的であつたという気がする。日本では生物学的なアプローチを重んじる精神科医にとつては精神分析的な用語を使うこと自体が幾分かはタブー視されていた印象があるが、こちらではたとえ批判的にではあれ、どの精神科医の話にも顔繁にそれらの用語が現われる價向にある。何でも言葉で説明してしまいたいフランス人にとっては精神分析理論にみられる psychogenetic な考えはまことに性にあっているのであろう。フランスの精神分析はその歴史は古いものの、1968年のパリ第8大学の精神分析「学部」の設置あたりから新しい段階を迎えたようである。そしてその勢いは数年前のラカンの死を契機に少し衰えたとは言え、まだ当分続く気がする。それが証拠に大きな本屋の精神分析関係のコ-ナーで売られている本の如何に豊富なことか。それに分析関係の雑誌だけでも十数冊あるのである!少し列挙してみれば、Nouvelle Revue de la Psychanalyse (フランス精神分析協会の雑誌、Gallimard 社), Revue Freudienne de la psychanalyse (P.U.F.社), Psychanalyse à l'Université(パリ第7大学の精神分析学科の雑誌)、ラカン派の ORNICAR と Ane、その他 Analytica, Topique, Analyique, La Psychanalyse de l'enfant, Esquisse psychanalytique, Revue de la Psychnalyse Groupale, Cahier pour l'Analyse, Littoral, Cahier de Lecture Freudienne, Frenesie, Étude Freudienne ・・・・・・。これに店頭には登場しないものを加えたらどのくらいの数になるのだろうか。これだけ述べると、まさ・にフランスは精神医学に関してはすっかり輸入国になってしまつたかの様な印象を与えるかも知れないが、日常の臨床においてはフランスの伝統的な精神医学における概念があちこちに現われ、時には私を戸惑わせた。
私が先ず困ったのは、プッフェー・デリラント bouffée delirante である。日本でだったらさしずめ「急性錯乱」とでも訳されるであろうこの疾患単位は、しかし急激に始まる機能性の幻覚妄想状態をも広く含める概念であり、これがしばしば日常の診療の際の診断名として登場するのである。外来に来た幻覚妄想の顯著な患者を見て、分裂病の急性期だな、と思っていると、発症が急であればほぼ間違いなく診断名はブッフェー・デリラント。しかもフランス人の医師はこの概念を初期の分裂病、という含みを余り持つ事なく用いるらしい。何人かの医師に尋ねると、「三分の一はなおってしまうし、三分の一はこれを何回か繰り返すし、残りの三分の一は分裂病になるんだよ。」などとそっけない答えが返って来る。分裂病の枠のもとに全ての精神科的な急性疾患を入れてしまうのには無論同意出来ないが、一方では幻覚妄想状態がたとえ一時的に見られただけの場合にも、それが先ず再発することを前提としてフォローすることの必要性を日本での経験から得たつもりでいる私にとって、この概念を飲みこむことは始めは難しい気がした。フランスの精神科医が自国の伝統的な精神医学に敬意を表することは他にもあった。そもそもブッフェー・デリラントも、19せいきのフランスの精神医学者マニャン Magnan, V.(1835-1916)の概念であるが、医局での医師同志の会話の中に「この患者にはエランヴィタール(生命的な躍動)が足りないね」」とか「生ける現実との接触が欠けている」などという会話がまれならず聞かれる。いうまでもなく前者はベルグソン、後者はミンコフスキーの用いた概念である。また或精神科医の集まりで突然ある医師から「日本の精神科の患者には精神自動症(クレランボー)が見られるのか?」と聞かれ、思わず絶句したこともある。
私は各国が独自の精神医学に基づき医療を行なうのはむしろ自然なことだと思う。もともと疾患概念自体が種々の予断に基づいているのであり、万国共通の絶対なものを考えることそのものにわながある気がする。私が始めはあれほど起和感を持ったブッフェー・デリラントでさえ、何時の間にかフランスの医師達との話の中で自然とロにするようになってしまっている。それなのにいざフランス精神医学による統一した診断基準を探そうとするとテキストによって微妙に違ったりしてはっきりしない。いざとなると DSM-Ⅲ を持ち出す精神科医もかなりいる、という事情は日本と同じである。(第七話 終わり)