2010年10月20日水曜日

快楽の条件 7. 反復は基本的には快楽である

明日からは学会である。私にとってはかなり非日常の3日間となる。

これまで明示したことはなかったが、これまで繰り返されてきた刺激は、それだけでも快感の源泉になる。特に今現在も繰り返されている、という点がポイントである。住み慣れたうちの使い慣れたベッドと枕の感触。それがことさら不快感を生む原因が生じたというのでなければ、基本的には快感につながる。
それを示すような日常的な例。決まったパターンを何らかの形で破る必要が生じた場合に、不本意ながら用いた代替物に慣れてしまうと、「どうしてあんなものを毎日続けていたのだろう?」と感じるということがある。私の場合は例えば一時期フォントといえば、HG丸ゴシックM-PRO を用いていた。論文を書くにも、スライドを作るにも、である。使い続けるのは快感だった。でもある時あるフォーマットにあわせる必要があり、仕方なくHG正楷書体-PROを使っていたら、今度はこれにはまってしまっている。ゴシックM-PROを使っていたときの快感は、まさにそれを使っていたから得られていた、ということが出来るのだろう。
似た例としてはスナック。恥ずかしいから書けないが、夕食後に必ず食べていたスナックがあった。もう3年間ほど続けたのだが、一時期それがしばらく手に入らないという時期があった。そこで別のものを食べ始めたのだが、そちらになれると、なぜあんなものを毎日食べていたのかと思う。おんなじ仕組みである。
同じことを続けたいというこのプレッシャーは、実は新奇なもの、というもう一つの種類の快感によりピリオドが打たれ、移り変わっていくというわけだ。そしてもちろん慣れによる不快感ということも起きる。どうして反復による快が、ある場合には不快か、快の逓減を生むのかはよくわからない。反復することの危険性を知らせるための安全装置だろうか?確かに同じものばかり食べていると健康を害しやすいということもあるだろう。この二つの要素があるからこそ、人は同じことを一生繰り返さないで済む。
あのイチローが例の黒いバットを使わなくなるとしたら、余程のことがあるだろうが、ありえないわけではない。極度の打撃不振に陥り、偶然握った白バットでヒットが生まれる。ヒットが続く限りは使ってみよう、と。それからクロバットには見向きもしなくなるかも知れない。
反復の快楽。これがあるから人はこうも変わらないのだ。