2010年8月20日金曜日

パリ留学 その1

いいなあ。今日みたいな朝。25度くらいか。こんな日が毎日続いて欲しい。

ラベルを用いることで、色々なトピックをその日の気分で書くことにする。今日から(今日だけ?)パリに憧れていた頃のことを思い出したい。

パリで過ごした一年を、私は体験記にまとめてはいた。それは「私の闘仏記」というタイトルも付いていた。それを当時のバージョンの「心の臨床アラカルト」(星和書店)に投稿し、ボツになったという経緯がある。もう23年前の話だ。ボツになった理由は、「内容がクラいから」ということだったと思う。その原稿は今でもどこかにあるが、確かにクラい内容だ。あの冬のパリの空のように。

さてどうしてパリに留学したのか、というのは自分にもわからない。繰り返すが、人間は不可知な存在だ。それにこれは一種の恋愛だったのだ、と考える。ただ相手はフランス文化であり、シャンソンであり、フランス語の音の響きであった。そして「この人となぜ一緒になったんだろう?」と不思議に思う人が既婚者には圧倒的に多いように、私がどうしてフランスに憧れたかはわからない。「なんとなく好きになった」という感じだったが、フランス語を学び始めた21歳の頃から、フランス留学を終えてアメリカに渡る32歳まで10年以上続いたのだから、決して一時の気の迷いではない。今ではほとんど冷めているが、当時はあのややこしいフランス語を習得し、フランス政府の給費留学生の試験にパスし、相手との同居(留学のこと)まで漕ぎつけたのである。

私の現在の仕事や趣味との無関係さから言ったら、あの10年の苦労はなんだったんだろう、と思わざるをえない。あのなだいなだ先生と比べるのは恐れ多いのだが、同じフランス留学を経験した精神科医である先生は、パリ留学で奥さんとなる女性と出会い、パリ生活を題材にした本を書き、しっかりパリ生活が人生と職業に咬み合って一貫性がある。しかし私の現在生活にあの10年のフランスとの恋愛関係は何ら生かされていない。フランス語の本を読むことはほぼ皆無、フランス精神医学を専門とする気配はなし。会話の機会はゼロ。ある意味では打算のない恋愛と言えないこともないが・・・・。(今でも、あの10年間、フランス語に費やした時間と苦労は無駄だったのではないかと思うと、気が遠くなりそうである。だからあまり考えないようにしている。)
実はフランスが気になり始めたのは、大学入学当時からだった。第2外国語でドイツ語をとったときから、なんとなくフランスを選択しなかったことを後悔する気持ちが起きた。「実はお前さんが本命じゃないんだよ。」という感じ。その時からいよいよフランス語への片思いが始まっていた。

私が片想いに飽きたらず、具体的な行動にでた(声をかけた、という程度か?)のは、大学の教養学部の二年目、第3外国語のフランス語の講義をとったことだった。履修届けを出すのが遅れ、もう3回か4回目の授業であったと思う。その日文学部の教室の一つに設けられた、夕方からのフランス語のクラスには、どういう理由からかもうひとつの外国語を勉強に来ているワケありの生徒たちがバラバラに座っていた。担当は、石井先生という中年の男性の方。さすがフランス語の教師、というようなおしゃれな服装。胸元にはスカーフなどがのぞいている。恐る恐る後ろの席に座りテキストを開いた時から、実質的なフランス語との関係が始まったわけである。(今度いつ続くかわからない。)