2010年8月16日月曜日

不可知性 その8. おそらく人間は不可知性に耐性がある

昨日書いたことは間違い。やはり体は暑さには慣れていなかった。今日はアツい。

変なことを言うようだが …・・。不可知性について何回か、わかった風なことを書いているが、人は世の中の出来事が予測不可能で、現実は不可知であるということを、ある意味では体で学び、よく知っていて、うまく適応しているのではないだろうか? 

こんなことを改めて書いている私がむしろそのことをことさら疑問に思っているだけかもしれない。

最近私たち一家が家族ぐるみで付き合っていた家族に、異変が起きた・・・・ということは確かここでも書いたと思う。そこのアメリカ人のお父さんは単身赴任中だったが、50歳と少しという歳で、いきなり離婚を通告し、若い(多分)女性(こちらも多分)と一緒になってしまったという話だ。夫に去られた日本人のA子さんはそれがあまりに予測外のことで、しばらくはボー然としていたという。何しろ明らかな浮気の兆候も見抜けなかった、というよりそもそもそのような発想がなかったという。

この出来事は彼女の人生観をおそらくかなりの程度変えてしまうのであろうが、それでも彼女は毎日仕事に通い、子どもにメールを送り、夜はいつもの番組を見て、という生活を続けている。しかし他方では、20年以上連れ添った、おそらくある意味ではその振る舞いや考え方の隅々までよく知っていたであろう夫に裏切られているのである。それこそよく知っているはずの人間が、ある日宇宙人以上にわからない存在になってしまったのに、それでもこれまでの生活を続けている。

Aさんは精神的な健康度が非常に高い人であるから、重大な精神の異常をきたすことはないと思うが、人によってはこの出来事の予想外の度合いが大きすぎた場合に、それがある種のトラウマとして体験され、時には社会生活に支障をきたすまでになってしまう。しかし逆にいえば、それに至らない程度の予想不可能さは、もう人生に満ち溢れていて、将来の不可知性に対する耐性を大部分の私達は備えているのではないだろうか?だって相当予想外のことが毎日起きているのである。

例えば…・どんなことでもいいけれど、世界的に有名なプロゴルファーが、ある日突然ものすごいスキャンダルに巻き込まれ、愛人が1ダース以上出てきて次々と証言し、そのせいか彼は大スランプに陥ってしまうのである。またある国で野党の位置にずっとあった政党が急に与党になってしまい、選ばれた首相が最初はまともに見えて人気の絶頂にあったのに、どんどん失言を繰り返して最後には無能な宇宙人呼ばわりをされて辞任してしまうのだ。あるいは相撲界の暴れん坊が、優勝したかと思ったら、暴行事件を起こしてもう相撲界から追い出されている・・・。

これらのうちどれを一年前の私達が想像しただろう?それでも私達は平気で毎日を送っている。予想外のことが予想通り起きている、ということか。だからこそスポーツ新聞にも毎日何本かの見出しが登場し、週刊●春の中吊り広告に載せる見出しにも困らないのである。(予想外の出来事がパタッと起きなくなったら本当に困るだろう。週刊誌の中吊りに、あまりニュース性のないこと、たとえば名前を聞いても全然ピンとこない三流俳優が休業宣言をした、とかあまり知られない三流の会社が経営危機に瀕しているとか…。それでは誰も最新号を買わなくなってしまうだろう。)

このように考えると、予想不可能性は実は私達が生活をしていく上で適度の刺激を提供しているといってもいいのかもしれないし、予想外のことについてはあまり考えないようにしていることで、私たちは予測不可能生をやり過ごしているというところがある。何しろ私だってUFOの目撃者の話をテレビでやっているのを見ると、「宇宙人はいるのかも知れないな。」などと真剣に考えるが、次の番組になったらそんなことはすっかり忘れてしまうのである。