2010年7月19日月曜日

オタクについて 8 オタクのふりをする

今日も外は暑いらしいが、何日かぶりに一歩も外出しないという日を送った。
私は実はオタクの素質がなく、たとえば自慢できるコレクションなどは何も無い。楽器のミニチュアには「おっ!」となる程度だ。だから万年筆や刀などのコレクションをしている人に出会うと、ちょっと羨ましくなる。コレクションは、確実に旅を楽しくする。誰だったか、有名人でトイレットペーパーの収集癖がある人は? その人など、確実に地方の鄙びた旅館に行くことの楽しいが増すであろう。

ということで私もコレクションをすることにした。たまたまM病院のナースが精神科のオフィスの鍵につけてくれた不思議なキャラをネットで調べてみて、「カモノハシかも」というゆるキャラであることを知り、それでも集めてみようか、と思った。そう、今日から私は「カモノハシかも」オタクになったのだ・・・・。

発売元のサンエックス株式会社のサイトから、特別の許可を得て紹介しよう。
しかしもともと特別に興味を持っているわけでもないのでそれ以上に進めないでいたら、ある患者さんが、そんな私に、近所のガチャガチャで仕留めてきたという「カモノハシかものマスコットのぬいぐるみ」をくれたのである。再び「おっ」となり、ほんの少し興味の針が動いた。調べてみると、このキャラ自体はいつもひよこと間違われそうで、自分に自信のない性格で、語尾に「かも」をつけるキャラで、いつも首をかしげ、ご丁寧に頭の上に「?マーク」を付けているという。このキャラを院生の豊●さんが持っていたのも、少しは刺激になったカモ。

ところでこのカモノハシかもに、くろい「お友達」がいることを最近発見した。その名も「かものはしダス」。こちらは本物のカモノハシで秋田出身、口癖は「~だす」。性格も自信家で断言する傾向にあるという。面白いキャラ設定を考えるものだ。


さて、先日ほっておいた「萌え」、というテーマの続きである。

萌え、とは要するに「心がトキめく」という風に私は理解している。Wikiによれば、「萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。」というが、そんなことはわかっている。そうやって私たちは子供の頃から使ってきたからだ。そして「萌え」が「燃え」に移行することなく(ここは本田氏の表記を借用している)、そのままでとどまるならば、要するにプラトニック・ラブのままで進行するのであれば、これはオタクが持つ一つの美徳とさえ言えるのである。人知れず相手を思い、理想化し、その存在に恥ずかしくないように自らを高めるなんて、美しいではないか? 一見ストーカーに間違えられるかもしれないが、実は人畜無害で悪気のないものであることがすぐ分かるだろう。でただし・・・・・・。オタクにおける「萌え」にはどこか未発達で倒錯的なニュアンスがつきまとうのも確かだ。彼らは本来はモノに、秩序に、形式に心を奪われる。モノや形式は外部から与えられ、オタクはそれを受身的に味わい、楽しむ。「萌え」はそれが恋愛対象に置き換わっただけ、というニュアンスがある。本来モノに対する私たちの情熱と、愛情対象に対する情熱には、全く異質の心の働きが関与しているはずだろう。後者には相手との同一化や情緒的な交流を伴う、両方向性の関係で、先日紹介したバロン=コーエンの理論では、E的な能力が絡む。オタクがS的な感受性と情熱をたまたま異性(または同性)に向けたら、それは一方的で受身的で、本来交流を前提としないような恋愛感情(らしきもの)を意味するだろう。それが「萌え」の本体だとしたら?うーん、やはり「萌え」は一種の異常(性)愛なのだろうか? 私もせいぜい「萌え」はゆるキャラに留めることにする。