2010年7月5日月曜日

(承前)

揺り戻し、とはごく簡単にいえば、喜びに慣れてしまうということである。あることを獲得し、それに慣れていく、というプロセスは、それ自体は苦痛体験とは無関係なように見えるかも知れないが、実は過酷な試練ともいえる。これをよく知っているものは、ある成功を収めたと同時に「しまった!」と思うかもしれない。お笑い芸人のような人気商売を考えよう。売れる、ということは必ずいつかは落ち目になる、忘れられる、ということを意味する。盛者必衰、というわけだ。そしてそのプロセスが楽しいはずがない。そしてそれが人生の後になって否応なく訪れるのである。売れている喜びは、必ずそこから落ちることの苦痛となって帰ってくる。売れっ子であることに慣れる、ということはもっと悪い。喜びすら感じられず、あとは苦痛のみが約束されている。ただし売れっ子になったことで失われたもの(平穏な日常、など)が、落ち目になることで取り戻せる、などの場合は、もちろん話はそこだけ別である。
ところで昨日の説明で、積分云々というところが分かりにくい、という反応が読者からあった(ウソである。)そこで図を書いてみた。(本当は執筆が多く、こんなものを書いている時間はないのだ。)

この図のA領域の面積は、芸人が売れたことによるトータルの快である。Bは売れなくなった後の苦痛のトータルだ。売れた、というのは単に一時的なものではなく、実はこのような二次元的な体験である、ということをこの図により表現したかったのである。

明日から話題を変えよう、というよりしばらくは「仕事に合わせた」話題にしようと思う。

(とりあえず終わり。)