2010年6月4日金曜日

どうして人は化粧を・・・・・

突然だが、どうして人は(というか女性は)化粧をするのだろう? あるいはどうして化粧が許されるのだろう? インターネットの時代になり、特に最近はスターたちがすっぴんの姿を晒しているそうであるが、それを時々目にすると、普段の化粧をしている姿とあまりに違う。女性の外見とは非常に重要な意味を持つ。月並みな言い方だが、「どっちを信じていいかわからない」状態になる。すっぴんをさらす人は、(というより化粧をする人は)二つの顔を世間にさらすことをどのように感じるのだろう?
それに比べると男性の場合は、事情はかなり違う。男性の外見は、言わばどうでもいいのである。というより自分の見かけはどうでもいいという扱いをしている人々が多い。地下鉄にのっていると、つかれた顔をした中年のサラリーマンに出会う。彼らは若い頃はぴかぴかに光っていたのだろう。しかし時間は彼らの容貌を変えていく。何をどういじったってどうしようもなくなる。平板な顔をしている東洋人の場合はなおさらだ。特に頭髪は悩みの種だ。顔のシミもまた困りものである。しかし女性と違い、男性の彼らにそれらを自然にカバーする手立てはない。
基本的に常識に欠ける私は、この歳になっても新しいことを学ぶ毎日であるが、最近「女性のすっぴんは失礼」、という考え方があるのを知った。メイクをするのは礼儀であり、ちょうどきちんと服装をするように、常識的な身じまいであるというのだ。これってすごく便利である。化粧は自らの見苦しさを隠すものではなく、「決まりだから」「礼儀だから」行うものとなるのだ。
提案:国の法律で、男性はすべて、生え際の後退が始まったら、カツラの着用を義務付ける。薄毛を人目に曝すのは、失礼であるという常識をつくる。ちょうど昔の宮廷の音楽家のように、それぞれカツラを誂えて、「仕方なく」着用する。義務だから。これって多くの男性にとって福音かもしれない。
 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
冗談はさておき、本題である。BPDが医原性に生じる、おそらく最大の原因の一つは、誤診である。特に解離性障害がBPDに間違われることは非常に多い。私が会う機会のある解離性障害の方は、過去に一度や二度はBPDの診断を受けている。その中には実際にBPDにも該当すると考えられる方もいる。しかし大概において、解離性同一性障害(いわゆる多重人格障害、以下DIDとする。)の方は、BPDとはまったく異なるメンタリティを有する。そこでDIDに関して「見る目のない」治療者は医原性にBPDを作り上げるという現象が生じる。<ただしこれは誤診、ということだから、実は医原性のBPDというテーマからは正式には外れる。このことは書きながら気がついた。まあ、もう少し続けよう。>
まず事実から注目しよう。DIDとBPDには共通する症状ないしは問題がある。Marmer/Finkは両者の共通点として、 アイデンティティの障害、不安定な情動コントロール、自己破壊的行動、衝動統御の問題、対人関係上の障害を挙げている(Marmer SS, Fink D 1994 Dec;17(4):743-71.)。これほど類似点があるのだから、その成因には共通部分もあるだろうし、両者が合併することも多い。実際 DIDとBPD が共存するケースについては、米国では少し前から報告されている。少し古い統計では、DIDの患者の35~71%が、BPDの基準を満たすという。(Gleaves, D. H. (1996.Psychological Bulletin. 120, 42-59.)
しかし両者にはかなり大きな違いがある。とくに解離野機制の用い方については、DIDはそれが前面に現れているのに対して、BPDはその症状や防衛の一部を占めるに過ぎない。Marmer やFink DはこれをBPDは一時的に「ローテクlow-techな解離」を用いるのに対して、DIDは極めて精巧な解離の機制を用いる、と表現している。(Marmer SS, Fink D.:Rethinking the comparison of borderline personality disorder and multiple personality disorder. Psychiatr Clin North Am. 1994 Dec;17(4):743-71.)
文献的な検討はさらに続けることもできるが、私はDID→BPDへの誤診にはさらに治療者側の感情的な反応という問題があり、これが一番大きいのではないかと思う。どういうことか。それはDIDの患者さんの対処を重荷に感じ、当惑した治療者が、この論考の冒頭にあるような、「患者の側の抵抗や操作的な態度」を、BPDの診断の根拠とする可能性である。ある患者さんは心理療法の終わり際に人格交替を起こし、子供の人格になってしまった。そして心理療法家はそれを介抱する必要に迫られ、そのために次の患者さんに待ってもらう必要が生じた。療法家はこれを患者さんの側の行動化ないしは依存欲求の表現と理解し、患者さんの振る舞いを「ボーダーライン的」とした。しかし面接中の人格交代は。DIDの治療ではしばしば起きることである。
このように医原的に生じたBPDの診断は、実はこの一連の文の最初の方で論じたBPDの患者の医原的な成立の仕方と類似していることは明らかであろう。