BPDの病理が治療によりつくられ、あるいは助長されるという考え方は、そのほかのエキスパートからも聞かれる。おそらくBPDの治療において最大の貢献をした一人といわれる米国のLinehan, M(いわゆるDBTの創始者)も、そのテキストの中で次のように述べていると報告される。「中傷するような解釈を与えたり、患者の助けを求める叫びを無視したり、感情の爆発や自殺傾向に対して特別の注意を与えたり入院治療を提供したりすることで思いがけずも患者に報酬を与えてしまい、自分を評価してくれなかった家族環境に患者を引き戻してしまうこと」は医原病を生むというのである(Linehan, M. M. 1995: Understanding Borderline Personality Disorder: The Dialectic Approach program manuel. New York: Guilford Pressマーシャ・M. リネハン著, 大野裕, 阿佐美雅弘ほか訳:境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法―DBTによるBPDの治療. 誠信書房, 2007). Linehan, M. M. 1993:. Skills Training Manual For Treatment of Borderline Personality Disorder. New York Guilford Press. マーシャ・M. リネハン (著), 小野 和哉 (訳)弁証法的行動療法実践マニュアル―境界性パーソナリティ障害への新しいアプローチ 金剛出版, 2007.)。
ちなみにこのようにいくつかの治療者の言い分を列挙していくと、ひとつのことに気がつく。自分の治療法を提唱する場合、ほかの治療法を批判するというのは常套手段だが、そうなると必然的に「ほかの治療法で扱ったBPDの患者さんは悪くなる。これはiatrogenic なケースである。」という議論になる。これってある意味では当たり前のことかもしれない。これを書きながらそのことに今気がついた。「医原性のBPD」というテーマは、実はその意味でもビミョーなテーマなのだ。私が特にそのことを感じたのは、このLinehan の、「感情の爆発や自殺傾向にたいして特別の注意を与えたり入院を提供したりすることで思いがけず報酬を与えるべからず」というところである。その前の「患者さんを中傷すべからず。助けの叫びに耳を傾けよ。」はもちろんよくわかる。しかし「自殺願望に特別耳を傾けることはよくない。(そうすると医原性にBPDを作ってしまう)」は、少し極端だと思う。
もちろんLinehan が、「自殺願望を無視せよ」、と言っているわけではない。彼女はむしろ「自殺願望を持つ患者さんは、それについていやというほど話すように促せ」、ということを言っているのも知っている。「もうそれについて話すことはたくさんだ、と思うほどに話させよ、そうしたらもう話したり考えたりするのもいやになるだろう」というわけだ。Linehan の著作には、彼女の感性ならではの治療的な洞察が含まれるが、それでもこの「ボーダーさんを甘やかしてはならない。」とでも言いたげな主張にはちょっとタカピーな態度が伺える。彼女の持つ独特の医原(違った、威厳)や自己愛的な振る舞いとどうもつながってしまうのだ。まあこう言ってしまうと批判めくが、DBTの自殺願望をめぐる扱いの仕方を、どのような形で患者自身にvalidating に体験されるものにするかについては、実は非常に難しい問題が含まれるということを言いたいのである。(もっと言えば、アメリカで生まれ、アメリカではやったDBTを、ポンと輸入してそのまま使えるのは無理だ、ということにもなる。)
話題が少しそれたが、医原性の問題は自分自身で考えた方がいいような気がしてきた。<結局それが言いたいのか!>