2010年6月19日土曜日

(承前)
「いまここでディスカッションを聞いていたが・・・・・」そしてワンテンポ遅れて「僕はA先生が正しいと思うね。」
私は今でもそのときの感覚が忘れられない。恥ずかしかった。というよりボーゼンとなった、という感じが近いか。大衆の面前での、しかも偉大な●●先生からの駄目出しである。ただしそこにはその議論の性質上、私かA先生かという議論では済まされない問題であるとも思えていたので、先生の断定ぶりに驚いたのである。あるいは本当に私は「間違って」いたのかもしれないので、ここの私の論点は非常に弱い。ただしその時の司会の先生も驚いたようで、「まさかここでいきなり●●先生がどちらかに軍配を上げられるとは思いませんでした」というようなコメントをなさった。
私は私の論点がなぜ●●先生にとっては「間違っていたか」とは別のことを考えていた。理由は特に先生はおっしゃらなかったからよくわからなかった。しかし何か先生の気に触ったことをしたのだろうか?と考えたのである。そして私の発表のくだりを思い出した。「私は自分の臨床体験を説明できる理論はないか、といろいろ探ってみました。精神分析理論でもよくわからない。●●先生の××理論でもわかりませんでした・・・・・・。」 しっかり言っていたのである。でもこんなことくらいであの●●先生が腹を立てて私に意趣返しをするなんてありうるだろうか? 私はまだ経験の浅い一臨床家に過ぎないのに。それに私は××理論を批判するつもりなど毛頭なかったのだ。ただそれでは私の体験を説明できないと感じたといっただけである。
その日の昼食時に、私に近づいてこられた先生は、「さっきは君の立場を支持できなくて悪かったね・・・・」もちろん私は恐縮したものだ。その先生の言葉が何を意味しているかなど、その瞬間にはわからない。ただあとになってから、ふと考えたのである。あの先輩が言っていたこととあまりに似ている・・・・。