2010年5月26日水曜日

ところでこのブログを眼にした人は、不自然な文字や絵の配置に気が付くはずである。もちろん私はこれが不満だが、直しようがないのである。グーグルのブログは、コンテンツの編集が出来るようになっているが、私がまだなれていないのか、微調整が出来ない。かと言ってHTMLをいじって調整をするだけの力はない。ということでこのままやっていくしかない。しかし編集の容易さやアップの速さは「ホームページビルダー」の比ではないので、あまり文句はない。
(続き)
ということでPESの話である。私たちがある種の行動や出来事を想像の中で先取りして味わう様々な疑似体験の、快楽原則的な力価、というべきものを示してくれる装置である。私は一人でこの問題に感動しているのであるが、その一つの根拠を示す。
例えばあなたがある会社の株を1000株持っているとする。株価は今後同推移するかを完全に占うことは出来ない。現在は一株100円でも、一年後には半値になるか、倍になるかわからない。つまり現在払い戻すとしたら10万円の株券も、一年後には5万円の価値かもしれないし、20万円かもしれない。このように将来の価値が確定していない株を所有するということはどのような体験なのだろう? 今売るとしたらちょうど10万円になるのだから、現在において査定する価値としては一万円札10枚を持っているのと似た快感に相当するであろう。しかし例えば一年後にその株を売るということを決めているのであれば、一年先のその1000株の値をどのようにPESは査定するのか? 
もちろんこの答えは正確には不明なのであろう。一年後の価値はわからないからだ。しかしあなたの心の中でのPESはある種の答えを出ているはずなのである。そしてそれはたとえば一年間株価の推移を知らずに、それを売却した際のあなたの心に生じたことから推察することが出来る。もし一年後に売却した株の値がかわらず、ちょうど100万円を手にしたとする。それがあなたに快感を与えるとしたら、あなたのPESは、その値を一株100円より低い値に査定していたことになる。逆にその100万円が苦痛や失望を与えたとしたら、あなたのPESは、それを例えば一株200円として査定していたことになる。いずれにせよ実際にてにしたお金に対するあなたの反応により、PESの査定していた価値がわかる。そしてこれは、人の幸、不幸は、このPESのあり方(性能?)に大きく依存するということになるのだ。