2010年5月18日火曜日

快感中枢と生命

ところでこれまでに、私は快感中枢と、快感査定システムの区別をつけて論じてきた。両者を分けてきたのは、両者が脳内でおそらく異なる存在だからである。片方は実際に快感をあじわうという体験に関係し、もう片方は、ある体験が快感を味あわせてくれるであろうことを知らせてくれる機関である。前者はおそらくノルアドレナリンという神経伝達物質により支配され、後者はよく知られるようにドーパミン経路である。
もう少し専門的な話になるが、快感中枢の位置は知られている。それはMFBと呼ばれる部位、中脳の側坐核と被蓋野を結ぶ一帯であり、後者は不明であるが、快感査定システムはむしろ連合野が関わっているだろう。それは次のような理由による。
似たような例としてあげられる運動野と、運動前野。運動野が興奮すると実際に体が動き出す。運動前野はその運動をしていることを想像するときに興奮する。運動前野は運動野のすこし手前にあり、大脳皮質の他の部位との連絡を持つ、連合野といわれる部位に位置する。両者は異なるのだ。
それにしても不思議な快感中枢。生命活動の源は快感による。それが導き手となり、生命活動が維持され、生殖活動が繰り返される。カマキリのオスは交尾のあとにメスに食べられる。<わかったふうに書くが、そんな話を聞いただけである。>おそらくカマキリのオスはメスに頭をかじられながら、強烈なエクスタシーを味わっているだろう。私たちはよく、下等動物に心はあるのだろうか、などという議論をする。しかし心が存在するためには、その内実が必要であり、それを保証するのは神経ネットワークの大きさである。神経細胞が数千というプラナリアの脳のネットワーク<ここら辺もうろ覚えでだろう?>を考えても、そこに存在しうるのは、遥かに希薄な自己意識、とも言えないような心なのだろう。しかしそれでも強烈な快楽を体験する能力は否定出来ないのだ。場合によっては単細胞のゾウリムシでさえ、極小のピペットに体をいじられて身をよじらせるときは明らかに不快であろうし、開放されたら快感なのであろう。もちろんそれを確かめようがないのであろうが。
快感について考えることは、生命を突き動かすのものは何か、what makes the living creatures tick を考えることでもあるのである。