2025年12月10日水曜日

WDについて 推敲の推敲 3

 フランス、アメリカでの体験

 結局WDの議論の対象となるような体験は、私自身も長年持って来ており、そこで様々なことを思案してきたことになる。ただそれがWDというテーマですでに論じられていることは知らなかったわけである。そして改めてこの問題について論じる場合、私自身の異文化体験に触れないわけにはいかない。
 私は日本で医師になって間もなく、フランスのパリ大学精神科で一年間外国人研修生として、そのあと米国で4年間、精神科のレジデントとしてトレーニングを受け、さらに精神分析家になるために分析協会での8年間のトレーニングが続いた。パリでの体験は授業とその後のグループディスカッションが主たるものだったが、米国ではそこに実習にに基づくディスカッションが伴っていた。この合計十数年にわたる体験は私にとっては学びが多いとともにかなり苦痛を伴うものであった。私はもともとグループでのディスカッションは得意ではなかったが、それが慣れない外国語で行われるとなると、更に大きな負担となったのである(この私の経験については後に詳述する)。
 これらのトレーニングは通常は同学年の数人、大抵は6~10名のメンバーによる定期的な講義という形をとったが、そこでは講義や症例提示の後には、通常は十分なディスカッションの時間が与えられるのが通例であった。というよりは授業の主体はクラスメートの間でのディスカッションというニュアンスさえあったのである。
 もちろん担当する講師の授業の進め方にもよるが、通常は講師のレクチャーの後にすぐに活発なディスカッションが始まる。日本での同じ機会のように、ディスカッションの時間になってもしばらくの間、あるいは延々と沈黙が流れるということはまずない。グループ全体がそのような沈黙を一体となって埋めにかかるという感じで、必ず誰かが挙手をしたり口火を切ったりするのだ。そしてしばしばその全体の流れに一定の方向性が見いだせないままに様々な意見が出てメンバー間の応酬があり、場合によってはそれで授業が終わってしまうということもあった。
 私は最初の頃はいったいこのようなディスカッションに意味があるのかと疑問に思ったものである。皆が様々な意見や感想を持つということは分かるが、その誰が正解を握っているかということが分からずじまいになってしまうことも多かったため、これでは授業を受ける意味がないのではないか、とさえ思ったことを覚えている。
 もちろん授業がある種の知識や情報の伝達を主目的とするものであれば、ディスカッションというよりはその内容についての質疑が行われて授業が終わる。しかしそれがケース報告などの場合には、グループ内での意見の相違や対立が見られるだけで、結局何も結論らしきものが得られずに授業が終わるということは少なからずあったのだ。それに積極的な参加者が繰り返し発言の機会を得る一方で、消極的な参加者の発言はそこに反映されない傾向にあることも不満であった。
 しかしその後私が考えるようになったのは、この様なディスカッションのあり方が、参加者たちが自由な発想を表現するための訓練の場になっているであろうということである。 欧米社会では各個人がどのような独自の考えを持っているかということはことさら重視され、また期待される。あるトピックについてとりあえずは自分の見解を参加者たちの前で表明することは極めて大切なのだ。それは日本人の場合のように、自分が周囲とどの程度同調しているか、逆に言えばどの程度見当外れではないかを真っ先に考える傾向とは全く異なるのである。
 日本社会では自分が正しいか (正解ではなくても、少なくともその場でそれを言って恥ずかしくないか) が一番問題となるため、人はまず発言する前にグループを見わたし、そこでの「温度」を計ろうとする。そして誰かが口火を切るのを待つのだ。それとの対比で欧米ではまず自分が口火を切り旗幟を鮮明にするのである。
 ちなみにこれを日本の恥の文化と結びつけて考える向きもあるだろう。しかし私はそれともすこし違うような気がする。「何を恥ずかしいと感じるか」が日本と欧米で違うのだ。そして欧米社会では自発的な見解を持たないことが恥かしいのだ。
 この様な違いがこれほど明らかである以上,英国原産のWDの理論をすくなくともそのままでは用いることは出来ないであろうとさえ思えるのである。