2025年11月20日木曜日

特別寄稿 4

 一つ確かなことは次のことだ。日本のグループの場で沈黙を守る参加者たちは、実はたくさんのことを思っている。先日も私がある講演をした時、その質問の「なさ」にヤキモキしたことがある。こちらが力を注いで話をした時、私たちはたいてい聴衆からの反応を予想ないし期待しているものだ。そしてそこで何も質問が出ないと拍子抜けするし、がっかりもする。ところがそこで誰かを指名して質問をしてもらったり、アンケートなどで感想を募ると、実に様々な、実り多い返事が返ってくる。つまりメンバーたちは何も考えていないわけでは決してない。そして私の感想では、アンケートが特に匿名であるほど、より自由な意見や感想が戻ってくる。そしてこれはおそらくWDを日本で考える場合にかなり大きな問題を提示している気がする。何かの触媒catalyser のような装置ないしは工夫が必要なのだ。と言っても大げさなものを私が考えているわけではない。たとえば極端な話、グラスに一杯のワインでもいい。アルコールで少しほろ酔い気分になった日本人は程よく抑制がほどけて饒舌になったりするものだ。それは何だろうか?

私が授業などでやっているのは少し荒っぽいやり方だ。それは参加者に順番をつけて、次々と質問や感想を述べるようにすることだ。