2025年11月16日日曜日

ヒステリーの歴史 大詰め 2

 この心因の問題の削除とともにD項目である「症状が身体疾患では説明できないこと」についても、DSM-5やICD-11では変更が加えられている。具体的には「その症状と、認められる神経学(医学)的疾患とが適合しない」という表現に変更されている。ここでDSM-5やICD-11では、FNSにおいて医学的な所見が見られないことを特に否定しているわけではない点が重要である。しかしそれは陰性所見(医学的な診断が存在しないこと)ではなく、陽性所見(症状が医学的な診断と適合しないこと)を強調する形になっている。この違いは微妙だが大切である。この要請所見の例としてStone はさらにFNSに関して「このような『陽性』検査所見の例は何十例もある」p.351)とし、その例としてHoover testを挙げている。また Stone は機能性の痙攣を正常な脳波の存在から導くという例が挙げられている。

ちなみにこの陽性所見という言葉の説明として、DSM-TRでは次のような説明もなされている。「むしろ陽性の症状及び兆候(苦痛を伴う身体症状に加えて、そうした症状に対する反応としての異常な思考、感情、および行動)に基づく診断が強調される。」(p.339)  

たくさん手直しをして、全面書き換えに近くなっている。

ところでDSM-5には次のような注目すべき記載がある。「[ 身体症状群は]医学的に説明できないことを診断の基礎に置くことは問題であり、心身二元論を強化することになる。」「所見の不在ではなく、その存在により診断を下すことが出来る。」「医学的な説明が出来ないことが[診断の根拠として]過度に強調されると、患者は自分の身体症状が「本物 real でないことを含意する診断を、軽蔑的で屈辱的であると感じてしまうだろう」。(DSM-5, p.339)
 ここに見られるDSM-5やICD-11における倫理的な配慮は、C項目「症状が意図的に産出されないこと」そして「疾病利得が存在しないこと」という項目についての変更にもつながっていると理解すべきである。
 このうち「症状が意図的に産出されないこと」は、FNDだけでなく、他の障害にも当然当てはまることである。さもなければそれは詐病か虚偽性障害(ミュンヒハウゼン病など)ということになるからだ。そしてそれを変換症についてことさら述べることは、それが上述のヒステリーに類するものという誤解を生みかねないため、この項目について問わなくなったのである。
 またすでにDSM-IVの段階で削除された疾病利得についても同様のことが言える。現在明らかになりつつあるのは、精神障害の患者の多くが二次疾病利得を求めているということだ。ある研究では精神科の外来患者の実に42.4%が疾病利得を求めている事とのことである(Egmond, et al. 2004)。従ってそれをことさら転換性障害についてのみ言及することもまた不必要な誤解を生みやすいことになる。
 さらには従来変換症について見られるとされていた「美しい無関心 a bell indifférence」の存在も記載されなくなった。なぜならそれも誤解を生みやすく、また診断の決め手とはならないからということだが、これも患者への倫理的な配慮の表れといえる。  ただし実際にはFNDが解離としての性質を有するために、その症状に対する現実感や実感が伴わず、あたかもそれに無関心であるかの印象を与えかねないという可能性もあるだろう。その意味でこの語の生まれる根拠はあったであろうと私は考える。