第八章 愛することと働くこと……フロイトの言葉を考える
この第8章も私が特に好きな章である。単体のエッセイとしてもとても優れたものということが出来る。著者はいよいよ臨床心理を学び始め、学費のために教科書搬入のアルバイトを行う。その肉体労働にふと楽しさを覚え、医療機器のメーカーでの営業職にはどうして楽しみを見出せなかったのかについて考える。そしてそれはアルバイトが将来につながる、あるいは生きがいに結びついた仕事であることに気が付く。そして改めて働くということの意味を問い直すのだ。
 私は中でも著者の「[前の営業職では]自分がやっていることが実感できなかった」という気付きに注目する。自分がある行動を起こすことで何かが変化するという感覚、いわゆる自己効能感が決定的な役目を果たす。その意味でも著者が今心理士として働くことで味わう喜びはどれほどばかりだろうと思うのだ。心理臨床は、セッションでクライエントと対峙し、だれにも指図をされることなく自分の信じるままに進めていく。基本的には評価を受けたり、勤怠を管理されることはない。そして自分の言動の結果は多くの場合よくも悪しくもクライエントに及ぶ。およそ「自分がやっていることが実感でき」ない状態には程遠い。実感されすぎてしまうほどだ。臨床は「自分の意思とは関係なく言われたことに従わされる」のではなく「自分の意思に従って行うことに結果が左右される」世界だ。同じストレスでも後者は前者よりも精神衛生上いいだろうし、著者もそう感じているはずだ。もちろん人それぞれで後者に耐えられないという人もいるであろう。一日に何人もクライエントのつらい訴えを聞くこと、ましてや何らかの意味のある介入を行うことが期待されるということが耐えがたい人もいるし、するべきことを与えられ、それを何も考えずに機械的にこなすことが一番嫌なことを忘れられるという人もいるだろう。そのような人にはこの著者の話はあまり意味をなさないかもしれない。
以上3つの章についての感想を述べたが紙幅の関係でここで留める。あとは読者が各自本書をひも解いて存分に楽しんでいただきたい。
