一昨日は心理臨床学会の「自主シンポ」に討論者として参加した。
「心理臨床家の養成をめぐって:育てる者と育つ者の対話から」(長谷綾子先生他)
コロナ禍を経て諸学会は、学会場での対面によるものとWEBの二本立てになり、ますます様々なプログラムが開催されるようになっている。
この自主シンポで話題になった「ワークディスカッション(WD)」はイギリス生まれの新しい試みで、症例提示に応じて参加者が自由に意見を述べ、それが第三者により評価されたり、教示を受けたりということがなく、参加者は「人によりこれだけたくさんの考えが生まれるのだ」(ただ一つの正解などないのだ)という体験を持つことが期待される。これが日本の臨床心理士や公認心理師の養成機関で活用されているのであるが、これが精神分析における乳幼児観察に発しているということが興味深い。いわばWDは集団における自由連想というニュワンスを持つわけである。
ただし日本の集団の場合、なかなか参加者がお見合いをするばかりで沈黙が流れてしまうという特徴があり、それが欧米と異なるらしいということも分かった。
今回も討論者として呼ばれることで新しいことを学ぶことが出来た。