本章はヒステリー(変換症、FND)の精神科からみた歴史というテーマについて論じる。すなわち本書の執筆を担当されている神経学の専門家とは異なる切り口からこのテーマについて論じることになる。はじめに本稿で用いる用語について述べたい。というのも本章に関してはめまぐるしい名称変更が近年あったからである。まずヒステリー hysteria はすでに過去のものとなりつつある概念ないし診断名であり、DSM-Ⅲ(1980)以降、解離性障害 dissociative disorder や転換性障害 conversion disorder へと引き継がれたという経緯がある。そして最近それがさらにFNDという表現を得たことになる。 以上の経緯を踏まえ、また用語の混乱を避けるため、本稿では以下の3つを使い分けることとする。
● ヒステリー ・・・・・ DSM-Ⅲ(1980)以前の時代における変換症、FNSに相当する概念
● 転換症 ・・・・・ DSM-Ⅲ以降DSM-5(2013)までの時代における変換症、FNSに相当する概念、過去に転換と記載されてたものも本稿では変換という表現に変える。
● FNS ・・・・・ DSM-5以降の概念で、ここには変換症、機能性神経学的症状症、解離性神経学的症状症と同等のものとする。
ヒステリーの歴史
さてヒステリーに関する精神医学の歴史をひも解く、ということになるが、これを純粋に精神医学の歴史上のあり方として切り分けることは簡単ではない。というのも昔から精神科と神経内科 (neurology、最近では脳神経内科という表現が一般的) は混然一体になっていた。ちょうどヒステリーについて現代的な医学の立場から唱え始めたシャルコーは神経学者だし、それを引き継いだフロイトやジャネは精神科医だったが、フロイトは元々は神経解剖学者だったという風にである。さらには病理学者(解剖をして顕微鏡で調べる学者)と臨床医の区別も漠然としていた。
さらに問題となるのは、シャルコーやフロイト以前に「精神医学」が本来あるべき姿として存在したのか、という点である。よく知られているように、ヒステリーは子宮遊走によるという説が、ギリシャ時代からあったとされるが、これはそもそも「学問」的な理解なのかということも疑わしくなる。
ヒステリーは人類の歴史のかなり早期から存在していた可能性がある。その古さはおそらくメランコリーなどと肩を並べるといってもいい。ヒステリーに関する記載はすでに古代エジプトの時代すなわち紀元前2000年ごろには存在していたとされるのだ。
(ものすごく長い中略)
変換症およびびFNDとしての歴史
さてここまではもっぱらヒステリーについて論じてきたが、これは1980年代以降はヒステリーという名称が避けられ、変換症conversion disorder という名前になる。これは1970年代になり、ベトナム戦争の帰還兵に多彩な身体症状が見られ、また女性の性被害者や幼児虐待の犠牲者にも同様の症状が見られたことがDSM-Ⅲの診断基準に反映されたことが大きかった。
むろん変換 conversion という用語はフロイトが用いて以来存在していた。1952年のDSM初版には精神神経症の下位分類として「解離反応」と「転換反応」という表現が見られた。1968年のDSM-IIにはヒステリー神経症(解離型、変換型)という表現が存在した。ただしそれはまだヒステリーという時代遅れの概念の傘の下に置かれていたのである。
変換症の概念がFNDにその座を譲る経緯は多少なりとも込み入っていた。
まずDSM-5(2013) では変換症/転換性障害(機能性神経症状症 conversion disorder (functional neurological symptom disorder )という表現が登場した。そしてさらにDSM-5-TR(2022)では後者は機能性神経学的症状症(変換症) functional neurological symptom disorder (conversion disorder )へと変更になった。すなわちDSMで着々と起きているのは conversion という概念の使用の回避であり、DSM-5とDSM5-TRで順番が逆転したことがそれを示唆している。さらにはICD-11ではconversion という表現がなくなり、変換症に相当するのは、dissociative neurological symptom disorde 解離性神経学的症状症である。(ちなみにconversion の訳語が転換(性)から変換(性)に変更になった点については、脳波異常を伴う癲癇(てんかん)との混同を避けるためであり、それなりに意味がある変更と思われる。)
こうしてFNDの時代が到来したことになる。
なお世界的な診断基準であるDSM(米国精神医学会)とICD(国際保健機構)は,精神疾患一般についての理解や分類に関してはおおむね歩調を合わせつつある。ただし変換症を解離症に含めるかどうかについては顕著な隔たりがある。すなわちDSM‐5においても変換症は、「身体症状症」(DSM-IVにおける「身体表現性障害」)に分類される一方では、ICD-11では解離症群に分類されるのである。