なぜ conversion (変換、転換)の概念が消えていくのか?
DSM-5においてなぜ conversion (変換、転換)という言葉そのものについて問い直すという動きがあったのだろうか? これについてはFNDの概念の整理に大きな力を発揮したJ.Stone の論文(2010)を参考に振り返ってみる。
本来 conversion という用語は Freudの唱えたドイツ語の「Konversion (転換)」に由来する。 Freud は鬱積したリビドーが身体の方に移される convert ことで身体症状が生まれるという意味で、この言葉を用いた。
ちなみに Freud が実際に用いたのは以下の表現である。「ヒステリーでは相容れない表象のその興奮量全体を身体的なものへと移し変えることによってその表象を無害化する。これをわたしは転換と呼ぶことを提案したい。」(Freud, 1894)
しかし問題はこの conversion という機序自体が Freudによる仮説に過ぎないのだと Stone は主張する。なぜなら心因(心理的な要因)が事実上見られない転換性症状も存在するからだという。もちろん心因が常に意識化されているとは限らず、心因が存在しないことを証明することも難しいが、その概念の恣意性を排除するという意味でもDSM-5においては conversive disorder の診断には心因が存在することをその条件とはしなくなったのである。
Stone J, LaFrance WC Jr, Levenson JL, Sharpe M. Issues for DSM-5: Conversion disorder. Am J Psychiatry. 2010 Jun;167(6):626-7.
Conversion disorder の診断基準の見直し
ここで改めて conversion disorder の診断基準がどの様に移り変わったかをまとめて表に示したい。
DSM-IV にあった「症状が神経学的に説明できないこと」については、DSM-5やICD-11ではあえて強調されていないことになったことはまず注目に値する。実際には「その症状と、認められる神経学(医学)的疾患とが適合しない」という表現に変更されている。(ちなみに「適合しない」とは原文ではDSM-5では "incompatible", ICD-11では "not consistent"である。)
この変更は、conversion disorder において神経学的な所見が存在しないということを否定しているわけではない。しかし医学的な診断が存在しないこと(すなわち陰性所見)ではなく、医学的な診断と適合しないこと(つまり陽性所見??)を強調する形になっている。この違いは微妙だが大切である。
実はこの陽性所見という概念、簡単なようで難しい。DSM-5-TRの「9.身体症状症および関連症群」の冒頭部分にはこう書いてある。「むしろ陽性の症状及び兆候(苦痛を伴う身体症状に加えて、そうした症状に対する反応としての異常な思考、感情、および行動)に基づく診断が強調される。」(p.339) ところがFNSに関しては、「その症状と認められる神経疾患または医学的状態が適合しないことを裏付ける臨床的所見がある」(p.350) とし、2ページ後にはそれについて「このような『陽性』検査所見の例は何十例もある」p.351)。つまり陽性所見の意味はかなり違うのである。
例えば足が動かないという訴えの人に転換性障害の診断を下すとしよう。その場合、足に神経学的な病変がないことにより診断することは望ましくない。そこに患者の強いこだわり、すなわち「過度の思考、感情、行動」が見られることで診断が下るべきだというのだ。