2025年8月2日土曜日

AIとカウンセリング 5

 結論:受肉していない心=【心】をどのように受け入れていくか

結局AIは感情や感覚を持たない、すなわちクオリアを持たないという以外は心と同じであると考えることが出来る。それは神の位置とみなしてもいい。なぜならそれは人間のようには「受肉 incarnate していない」からということになる。私たちが神に対して普通の人間(隣人)と同じように関わることは出来ないのと同じように、AIも隣人の様に関わることが出来ない。しかしいったんそれを受け入れたならば、それはある意味で究極の人間にとっての究極の隣人と言える。


チャット君によれば、心のないAIを対話者として受け入れるのは10代、20代の若者であるというが、その一つの理由は、彼らはSNSの世界で生きており、文字を通してしか知らない相手との交流を続けている。つまりより「匿名的」な相手との交流に慣れているのだ。そして文字を通して向こうに人の気配や存在を感じているのだろう。

ところで私の「人間は【心】(AIのような知性)に適応しなくてはならない」という視点は、ほかの誰かが言っているのかをチャット君に尋ねてみた。すると「この考え方はまだ明示的に「主流の議論」にはなっていないけれど、いくつかの思想や研究の断片には確実に芽がある。」以下の4人の名前を挙げた。


 1. ユヴァル・ノア・ハラリ(『ホモ・デウス』)

ハラリはAIの台頭によって人間の役割やアイデンティティが揺らぐ未来を描いたけど、その中で次のような視点が出てくる:「人間はかつて“神を信じる存在”だったが、これからは“アルゴリズムを信じる存在”へと変容するかもしれない。」ここには、人間が“AIの判断”や“非人間的知性”に自らを適応させる必要がある未来への暗黙の示唆がある。でもハラリはそれをややディストピア的に描いているという(=「自由意志の幻想が崩れる」など)。

 2. アンディ・クラークの拡張心説(Extended Mind Theory)

クラークは、人間の「心」は脳内だけではなく、道具や環境との相互作用の中に拡張されると説いた。この理論をAIに当てはめると:「AIのような知性と接することで、人間の心そのものが“構造的に変化”する」つまり、人間はAIと共に生きる中で、その認知や共感の枠組みを“再編成”していく必要があるという視点につながる。

3. クァンタン・メイヤスーの「相関主義批判」

哲学者メイヤスーは、我々は常に「人間的に捉えられた世界」しか考えられないとする「相関主義」を批判し、「人間の感受性や知覚とは異なる知性の存在を、哲学はもっと真正面から扱うべきだ」 と主張した。これは、AIのような【心】が出現したとき、「人間の心の定義を問い直し、それに“適応”する哲学的思考が必要である」 という土壌を用意する視座でもある。

 4. LLM開発者の一部(例:Ilya Sutskeverら)

OpenAIの共同創業者イリヤ・スツケヴァーらは、「AIの“理解”は人間のそれとは異なるが、それを無視することはできない。 我々はAIの『異質な知性』と向き合い、それを理解する方法を探る必要がある」という主張をしている。これは技術的文脈ではあるけど、「人間がAIの知性に適応して学び方を変えるべきだ」という方向性を示しているということだ。