その一例としてアンナO.を取り上げよう。
<症例アンナO.に見られる幻覚>
ブロイアーとフロイトによる著作「ヒステリー研究」(1895)の最初に記載されているアンナO.の示す症状は、ある意味では解離性障害が示しうる症状群を一挙に紹介してくれるという意味ではとても象徴的である。その中で彼女がどの様な文脈の中で幻覚ないし知覚異常を示したかを知る上でも簡単にさらっておこう。
アンナO.の発症は多くの症状の複合したもの、つまり「特有の精神病、錯語、内斜視、重篤な視覚障害、手足や首の完全な、ないし部分的な拘縮性麻痺である(フロイト全集、p.25)。これは彼女が敬愛する父親の発病をきっかけに始まった。そして自分も徐々に憔悴し、激しい咳と吐き気のためにアンナは父の看病から外される。ここでブロイアーが呼ばれたが、ブロイアーはアンナが二つの異なる意識状態を示すことに気が付く。一つは正常な彼女だが、もう一つは気性が荒く、又常に幻覚を見、周囲の人をののしったり枕を投げつけたりしたという。
その幻覚については、彼女の髪やひもが黒い蛇となって表れた。最初は午後の傾眠状態で現れたが、錯語(言語の解体)や手足の拘縮も起きていた。この視覚異常に関しては特定の色だけ、例えば自分の服の色だけ、茶色なのはわかっているのに青に見える、などのことも後に起きたという。(p.39)そしてそれは父親が来ていたガウンの青色が関係していることが分かったということだ。
ここで興味深いのは幻覚はそれ自身が単独で起きるというよりは意識の混濁や言語の解体や手足の拘縮などと一緒に生じていたということである。つまり彼女は身体運動、言語機能、情動の表出,咳や吐き気などの自律神経機能の異常などとともに知覚異常(錯覚、幻覚)を体験したのだ。
これらの知覚異常はいわば解離性の陽性症状といえるが、ブロイアーはアンナに見られた聴覚異常についても丹念に記録している。それは誰かが入ってきても、それが聞こえない、人の話が理解できない、直接話しかけられても聞こえない、物事に驚愕すると急に聞こえなくなる、などである。(p.43)
ここでアンナの視覚、聴覚異常についていえば、視覚においては陽性症状としての幻覚、聴覚に関してはもっぱら陰性症状としての聴覚脱失であるが、それが浮動性を有し、様々な形をとっているということが特徴的である。(自分の服の色の誤認の例など。)そしてそれらはまた「語ることで除去」されるという性質を持っていたのであ(p.41)。つまりDSM-5に記されている解離性の幻覚体験の特徴を備えていたのだ。