2024年8月30日金曜日

統合論と「解離能」1

 DIDにおける統合とは何か。いまだにこの定義は不明だが、これがDIDの治療において目指すべきものかについては、いまだに不明な点が多い。しかしおそらく人の心理的な機能は正常な統合normal integration を有しているというのがその発端であろう。だからその破綻としてのDIDは当然統合に向かうべきであろうというのが治療方針として掲げられ、おそらくそれを一番推奨したのが Richard Kluftである。ところがそれと別の考え方があり、それは解離能力という考えである。それはもう一つの統合を達成する能力であり、二つ(以上)の心の存在を容認する形であり、それはD.Stern  や P.Bromberg の考えに近いことになる。

その考えに立つと、DIDの治療のガイドラインとして重視すべきISSTDのそれは、Kluft の立場からはかなり変更しているように思える。実際の統合とは何か。それ以外のものがいかに統合という名前で扱われていないか。そのことをいろいろ考えたい。

 ところで統合について言い表す概念が実は複数ある。Integration はまあそのまま「統合」でいいだろう。でも解離がdissociation であることを考えると、association (連合?)というのも当然あり得る。まあ解離の専門書や論文ではあまり見ないが。よく見かけるのは fusion (融合?)。unification (統一?)Unify(統一?)なども見かける。

先ず出発点は本家であるISSTD(国際トラウマ解離研究学会)が2010年に発表した「ガイドライン」から出発しよう。 

 このガイドラインの133頁にこう書いてある。「 integration とfusion は混同され、用いられている」「fusion は二つ以上の交代人格が自分たちが合わさり、主観的な個別性を完全に失う体験を持つことである。最終的な fusion とは患者の自己の感覚が、いくつかのアイデンティティを持つという感覚や、統一された自己という感覚にシフトすることである。Fusion refers to a point in time when two or more alternate identities experience themselves as joining together with a complete loss of subjective separateness. Final fusion refers to the point in time when the patient’s sense of self shifts from that of having multiple identities to that of being a unified self. 」とある。そしてさらに「ガイドライン作成チームのあるメンバーは、初期の fusion と最終的な fusion を区別するために、unification 統一? という言葉を用いるべきだと主張する。」つまりメンバーの間でも意見が分かれたというわけだ。しかしいずれにせよ方向性としては治療は統一、統合に向かうべきという前のめりの姿勢が感じられる。