2024年7月12日金曜日

「トラウマ本」第14章 トラウマと心身相関の問題 加筆部分 3

 この項目、もう何度書き直したことか…

転換性障害


消えゆく「転換性障害」という診断名 

 MUSに属する疾患の筆頭に挙げられるのは、いわゆる転換性障害であろう。ただし実は以下に述べる事情の為に、最近ではFND(functional neurological disorder 機能性神経学的障害)ないしFNSD(functional neurological symptom disorder 機能性神経症状症)と呼ばれることが多い。しかしここではわかりやすく「転換性障害」という表現を使いたい。
 従来から転換性障害と呼ばれていたものは、随意運動、感覚、認知機能の正常な統合が不随意的に断絶することに伴う症状により特徴づけられる。つまり症状からは神経系、ないしは整形外科、眼科、耳鼻科などの疾患を疑わせるが、(脳)神経内科的、ないしはその他の身体科の所見が見られない場合にそのように診断されるのだ。従って通常はこの診断は、他科から精神科に紹介されてきた患者に対して下されることが多い。
 ところでこの転換性障害の「転換性」という言葉はかなり以前から存在していた。DSM-Ⅲ以前にも「転換性ヒステリー」ないしは「ヒステリーの転換型」という用い方がなされていたのである。日本の古い精神医学の教科書にも、大抵はこれらの概念ないしは診断名が記載されていたことを記憶している。
 しかし2013年のDSM-5において、この名称の部分的な変更が行われた。すなわちDSM-5では「変換症/転換性障害(機能性神経症状症)」(原語ではconversion disorder (functional neurological symptom disorder)となった。つまりカッコつきでFNDという名前が登場したのである。
 さらに付け加えるならば、10年後の2023年に発表されたDSM-5のテキスト改訂版(DSM-5-TR)では、この病名が「機能性神経症状症(変換症/転換性障害)」となった。つまりFNDの方が前面に出る一方では「変換症/転換性障害は( )内に入るという逆転した立場に追いやられたのである。
 こうして転換性障害は正式な名称からもう一歩遠ざかったことになる。この調子では、将来発刊されるであろう診断基準(DSM-6?)では転換性障害の名が消えてFNDだけが残されるのはほぼ間違いないであろう。
 ところでこのFNDの”F”すなわち機能性functional という言葉の意味についても少し説明が必要であろう。機能性とは、器質性organic という表現の対立概念であり、検査所見のない、本来なら正常に機能する能力を保ったままの、という意味である。転換性障害と呼ばれてきた疾患も、時間が経てば、あるいは状況が変われば機能を回復するという意味では機能性の疾患といえる。だからFNDごく単純に、「今現在神経学的な症状がたまたま出ているだけである状態」という客観的な描写に基づく名称ということが出来よう。
 またFNDの”N”すなわち神経(学的)症状とは、神経症状との区別が紛らわしいので注意を要する。神経症状、とは神経(内科)学的 neurological な症状をさし、例えば手の震えや意識の混濁、健忘などをさす。簡単に言えば症状からして神経内科を受診するような症状であり、知覚、感覚、随意運動などに表われる異常である。転換性障害が示す症状はこれらの知覚、感覚、随意運動などに表われる異常であったから、それらは表れ方としては神経症状症と呼ぶことが出来るのだ。それに比べて後者の神経症症状とは、神経症の症状という意味であり、不安神経症、強迫神経症などの神経症 neuross の症状という意味である。
 ところで以上述べたのはDSM-5における転換性障害という名称の扱われ方であるが、この転換性という名称を廃止しようという動きは、2022年の ICD-11の最終案ではもっと明確に見られた。こちらでは転換性障害という名称は完全に消えて「解離性神経学的症状症 Dissociative neurological symptom disorder」という名称が採用された。これはDSMにおける機能性functional のかわりに解離性dissociative という形容詞が入れ替わった形となるが、ほぼFNDと同等の名称と言っていいだろう。

 さてこの「転換性」という表現の代わりにFNDが用いられるようになったことは非常に大きな意味を持っていた。その事情を以下に示そう。  DSM-5においてなぜ「転換性」という言葉そのものについて問い直すという動きがあったのかについてJ.Stone の論文を参考に振り返ってみる。  本来転換性という用語はFeudの唱えたドイツ語の「転換 Konversion」(英語のconversion)に由来する。 Freudは鬱積したリビドーが身体の方に移されることで身体症状が生まれるという意味で、この転換という言葉を使った。

 ちなみにFreudが実際に用いたのは以下の表現である。「ヒステリーでは相容れない表象のその興奮量全体を身体的なものへと移し変えることによってその表象を無害化する。これをわたしは転換と呼ぶことを提案したいと思う。」(Freud, 1894)
 しかし問題はこの転換という機序自体がFreudによる仮説に過ぎないのだとStone は主張する。なぜなら心理的な要因 psychological factors が事実上見られない転換性症状も存在するからである。  このようにFreudの転換の概念を見直すことは、以下に述べるとおり、心因ということを考えることについての再考を促すこととなった。そしてそのような理由でDSM-5においては転換性障害の診断には心因が存在することをその条件とはしなくなったのである。  ところでDSM-5やICD-11において新たにFNDとして掲げられたものの下位分類を見ると、それがあまりに網羅的である事に驚く。つまりそれらは視覚症状を伴うもの、聴覚症状を伴うもの、眩暈を伴うもの、その他の特定の感覚障害を伴うもの、非癲癇性痙攣を伴うもの、発話症状を伴うもの、麻痺または筋力低下を伴うもの、歩行障害の症状を伴うもの、運動障害の症状を伴うもの、認知症状を伴うもの ・・・・・・ と細かに列挙されているのである。つまり身体機能に関するあらゆる症状がそこに含まれるのだ。これは概念的には予断を多く含んだ転換性障害の代わりにより客観性や記述性を重んじたFNDが採用された結果として理解することが出来るだろう。