解離とトラウマ記憶の問題
本章の最後に解離とトラウマ記憶の問題について述べたい。蘇った記憶や過誤記憶について考える際、トラウマ記憶の問題は特に重要である。私たちがトラウマ、すなわち心的な外傷となる出来事を体験した際に、その際の記憶は通常の記憶とは異なる振る舞いを見せることが知られている。それはトラウマの臨床、すなわちPTSDや解離性障害などの症状の治療に携わる者にとってはなじみ深い。ただ本章でこれまで論じてきたような一般心理学の立場からはその点が十分に把握されているとは言い難い。では一体トラウマ記憶は通常の記憶とどのように異なっているのであろうか?そしてそこに解離の機制はどのように関与するのであろうか?
2001年にPorter & Birtは “Is Traumatic Memory special ?” (トラウマ記憶は特別だろうか?) という論文で、通常の記憶とトラウマ記憶にどのような差がみられるかについて研究を行った(Porter & Birt, 2001)。
彼らは306人の被験者に対して、これまでの人生で一番トラウマ的であった経験と、一番嬉しかった経験を語ってもらったという。すると両者の体験の記憶は多くの共通点を持っていた。つまり双方について被験者は生々しく表現できたという。またよりトラウマの程度が強い出来事ほど詳細に語ることが出来た。
それをもとに彼らはそれまで一部により唱えられていた説、すなわち「トラウマ記憶は障害されやすい」という説はこの実験からは否定される、とした。さらにトラウマ記憶についてはそれが長期間忘れられていた後に蘇ったのはわずか5%弱であり、嬉しかった記憶についても2.6%の人はそれが忘れられていた後に蘇ったという。
この研究ではまた長期間忘れていた後に想起されたトラウマに関して聞き取りをしたところ、それらの記憶の大部分は無意識に抑圧されているわけではなかったという。それらはむしろ一生懸命意識から押しのけようという意図的な努力、すなわち抑制suppressionという機序を用いたものであったというのだ。
この学術的な研究からは、トラウマ記憶が抑圧され、後に治療により回復される、という理論は概ね誤りであるという結論が導かれることになる。
しかし実は一時的に失われていた記憶が治療により、あるいはそれとは無関係に蘇るという現象は、精神科の臨床では稀ならず見られる。それはトラウマを扱う多くの臨床家にとってはむしろ常識的な了解事項とさえいえる。これはいったいどういうことであろうか?
ここで一つの臨床事例を提示しよう。ある20代の男性Aさんは、仕事場での業務が量、質ともに過酷さを極めた為に、身体的な異常をきたした。そしてとうとう自宅療養を余儀なくされたのである。しかし実はその自宅療養に至る前の数か月間、彼は職場で上司から深刻なパワハラを受けていた。ただ休職に至った時点では過去数か月間の記憶もかなりあいまいになっていたのである。
Aさんは職場からのストレスから解放されて自宅での療養生活を始めたころから、見慣れない景色や体験した覚えのないエピソードを夢に見たり、あるいは覚醒時に突然それらに襲われたりするという体験を持った。それを手繰っていくにつれて、それらが過去数か月の間に起きていたことの断片らしいことが判明した。そしてその内容は後に客観的な証拠(同僚の証言や本人が書いていた行動記録のメモなど)により実際の出来事に合致していることが分かった。つまり彼は数か月間に起きたトラウマ的な出来事を「忘れて」いたことになる。そしてこのような例は実は臨床ではかなり頻繁に出会うのだ。すなわち先ほどのPorter & Birtの結論は間違っていると言わざるを得ない。えー!どうするの?