2024年3月19日火曜日

「トラウマ本」 トラウマと解離性健忘 加筆部分 1

 解離性健忘の症状の特徴は、自分にとって大きな意味を持つ最近の出来事、特に外傷的ないしは大きなストレスを伴う出来事に関する記憶(エピソード記憶)を回復する能力が失われることである。つまりそれは単なるもの忘れでは説明できない。単なる物忘れの場合は、忘れられる記憶は自分にとって意味が少ない記憶からということになる。

 健忘された記憶は、個人生活、家族生活、社会生活、学業、職業あるいは他の重要な機能領域において生じ、そうなると特に社会生活上深刻な障害をもたらす。仕事場では単に「忘れていました」では済まされないからだ。それに比べて個人生活や家族との同居では記憶の障害はごまかしたり容赦してもらえたりすることが多い。
 ただし当人はしばしば、自分の記憶の障害に気づかないこともある。網膜の障害等で視野の一部が欠けていても、その部分が自然と補完されて気付かれずにいることが多いが、それと同様である。時には健忘している部分を思い出そうとする努力への抵抗を感じたりする。
 解離性健忘と同様の健忘は中枢神経系に作用する物質(アルコールやその他の薬物)の使用、神経系の器質的な疾患(側頭葉てんかん、脳腫瘍、脳炎、頭部外傷など)でも生じうるが、それらは解離性健忘からは除外される。しかし脳内で生じていることはかなり類似している可能性がある。

解離性遁走があるかないか

解離性健忘では、空間的な移動を伴ういわゆる「解離性遁走」を伴うかどうかの分類もある。解離性遁走とは自分自身のアイデンティティの感覚を喪失し、数日~数週間ないしはそれ以上にわたって、家、職場、または重要な他者のもとを突然離れて放浪することで、その時は「自分は誰か」という自覚もなくしている。だからこそ帰宅する努力をせずに、時には何か月も時間が経過することがある。
 DSMやICDの以前の分類では、この解離性遁走は独自に一つの疾患として提示されていた。そしてそれとは別個に解離性健忘という診断があったのである。それから診断基準が代わり、解離性遁走は解離性健忘の下位に分類されることになった。そこにはいくつかの理由がある。一つには遁走が生じた場合に見知らぬ場所で混乱する、あるいは新たな人生を歩むということで社会の耳目を集めることが多く、そのために事例化しやすかったのであろう。しかしもちろん遁走を示さない解離性健忘も、遁走程には目立たないにしても存在することは確かであり、また遁走を伴う解離性健忘と伴わないそれを明確に分ける必要もないという考えから解離性遁走が単独で診断されることはなくなったものと考えらえる。
 ただし私は遁走は解離性健忘にかなり特徴的ではないかと考える立場である。突然解離が生じて自分を規定する様々な諸条件から解放された時に、人は放浪する性質を有しているのではないだろうか。その様に考えるのは、解離性遁走における解離性健忘はかなり特徴的な性質を有するからだ。

改めて考えてみよう。解離性健忘とは、現在の主体がある過去のことがらを想起できないということだ。他方その健忘の対象となっている出来事が起きていた時は、その時の主体はおそらく何が起きているかを把握していたであろうから、その病理性を問われることはない。なにしろ「健忘」はまだ生じていないからだ。つまりそこにある問題は、健忘している今の主体と、かつての出来事の主体は別々の存在であり、両者が「解離」しているということだ。そして病理性が問われているのは、現在の主体の方である。
 ところが解離性遁走の場合はどうだろう。上述の議論に沿えば、後者の健忘されてしまった出来事における主体が、解離性遁走の主体に相当することになる。そしてその時の主体が病理性を問われていることになる。つまり一般的な解離性健忘と逆の関係にある。それに実際恐らく遁走の最中にある人の挙動は普通とは違うであろう。
 このことからして解離性健忘と解離性遁走とは互いに異なる病理としてとらえたほうがいいということになる。

ここで遁走している最中の主体が問題視されるということについてであるが、通常遁走の間の出来事は後に想起されることは極めて少ない。それは遁走中の主体はいわば朦朧状態であり、おそらくその時に職務質問を受けたとしても、満足な答えが出来ないという可能性があるからなのだ。