以上の本章の議論をまとめよう。男性の性愛性の加害性の一部は、それがパラフィリックな性質を有する可能性にある。男性が幼児に対する性的興味を有する場合、あるいは他者を害することに性的な満足を覚える場合、男性がそれを実行することにより満足しても、それを断念しても、そこに悲劇性が存在する。しかしこれは男性の性愛性に限る問題ではない。例えばサイコパシーの場合、他人を害することへの快感については、幼児期からその兆候が見られることがある。それらの場合にも「生まれながらに断罪されるべき運命」の理不尽さは変わらないものと考えられる。
一般的な男性の性的満足の機序は、嗜癖モデルにも似て、 incentive sensitization model (ISM)に従った理解をすることが出来る。すなわち性的な刺激を受けると抑えが効かないような衝動が生まれる。男性が性的満足を追求する時、目の前の対象と心地よさを追求するということからは逸脱する傾向にある。これは女性をモノ扱いすること objectification に繋がり、男性の性愛性において部分対象関係が優勢になるということを意味する。このような男性の性愛性の性質が、それが「劣情」と呼ばれる根拠であろう。
もちろんこのような性質は、性加害を行う男性を免責することにはならない。しかし例えば反社会性やサイコパシーなどと比較した場合、刑罰よりは治療に重点を移すべきであろうという議論は成り立つ。そしてその意味でも男性による性被害を予防するために、男性の性愛性の性質についての学問的な説明は今後必要となるであろう。
さてこのように述べた時点で様々な懸念が予想される。繰り返すが、男性の性愛性の嗜癖モデルについては、これを持ち出しただけで政治的な議論に発展する可能性がある。実際この発表をオンラインで口頭で行なった機会に、私の発表は男性の性加害に関して、女性の側の挑発によるものだと言っていることに等しいという視聴者からの厳しいご意見があった。私はそれに当惑し、またその様な気持ちもわかる部分があり、この問題の奥深さと抱えている問題の大きさについて改めて考えた。実は私はもう一つの提案を行ってみようかとも思っていた。男性の加害衝動を疑似的に満足させる方法(仮想現実における満足体験、など)の可否を検討することである。これが「治療」としての効果をたとえ発揮しても、それを用いることに関しては多くの課題を乗り越える必要があろう。