2024年2月17日土曜日

第12章 療法家にとっての脳科学 追加部分

 ところで治療関係を相互のディープラーニングであるとして捉え直した場合、そこで起きるあらゆる刺激のやり取りがそこに含まれるという事をあらためて述べておきたい。よく療法家はある種の特定な治療的関りを行なう者として理解される。例えばクライエントの話を聞いて理解を伝えたり、アドバイスを与えたり、特定の課題や宿題を出したりする。場合によっては絵を描いてもらったり、箱庭の制作を促したりする。これらの治療的な関りは、その治療法のプロトコールに書かれているであろうし、それを行なうことで実際の治療が成立すると考えられるのが一般だ。

 しかし実は二人の関りはそれらのプロトコールやテキストに書かれた治療的な関りには全くとどまらない。それ以外の様々な関りが生じていて、それが治療にプラスに、ないしはマイナスに働くのである。

あるクライエントAさんは昔体験した母親とのトラウマの記憶を扱うためにある療法家B先生と契約を結んだ。それは10回のセッションからなり、各回はある身体接触を伴う特殊な技法を用いつつ過去の記憶をひとつづつたどることになっていた。しかしその為の10回の本セッションの前の予備面接を受ける段階でAさんはB先生からある何気ない言葉をかけられたことが切っ掛けで、そのセッションを受けることをやめる決心をしてしまったのだ。それは


(中略)


 Aさんはそれを聞いて、途端にB先生を信じられなくなってしまったという。そしてすでに前払いをしていた10回のセッション代の返還を要求し、二度とB先生のもとに戻らなかった。

 私がここで言おうとしているのは、B先生の関りがいかにまずかったか、という事でも、Aさんがいかに貴重な機会を失ったかでもない。それらの真相は実はおそらく誰にもわからないことなのだ。ただAさんとB先生の関りにおいて生じたかなりつらい側面を持ったディープラーニングは10回の本セッションの前に起き、そして終わったという事である。そしてA,Bの二人に取ってある種の、それ自体はかならずしもポジティブとは言えない学習の機会を提供したという事である。