2024年1月4日木曜日

連載エッセイ 11 推敲の1

 今回は第11回目である。全12回の予定のこの連載エッセイも、いよいよ終わりに近づいている。今回のテーマは「脳科学とトラウマ」だ。トラウマは現代の精神医学において非常に大きな位置を占めている。精神分析学と共にトラウマ関連疾患や解離性障害は私が臨床で最も多くかかわるテーマである。そこでこの連載を終える前に、このトラウマの問題について広く脳科学的に論じてみたい。ちなみに本稿では「トラウマ」とは身体にではなく、精神、心がこうむる外傷、という意味で用いることをお断りしておく。

 考えてみれば、私たちの生きる世界はトラウマの連続である。ロシア―ウクライナ戦争やパレスチナでの紛争を見る限り、毎日のように無辜の犠牲者が生まれている。改めて過去を振り返れば人類の歴史は戦争や殺戮、略奪、虐待の連続であった。しかしトラウマに関連する精神医学が米国を中心に注目を浴びるようになったのは1970年代ごろからである。

 今ではトラウマ関連障害としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)や解離性障害、ないしは愛着障害が挙げられているが、それまではトラウマが脳や心に深刻な障害を引き起こすという考え自体があまり知られていなかったのである。

 前置きはこのくらいにして、「脳科学とトラウマ」というテーマについてである。まず問うてみよう。1970年代に始まるトラウマの精神医学は、最近の脳科学の進歩によりどのような影響を受けたのだろうか? その答えは「実に大きな変化をもたらした」である。そして結果的にトラウマの犠牲者となった人々を救う手段も大きく進歩したと言っていいだろう。

  現代の精神医学では、トラウマは脳に明らかな変化を及ぼすことは常識といっていいだろう。先ほどトラウマを「心がこうむる外傷」と述べたが、トラウマの実体の在処は脳である。そしてそれが心のあり方に甚大な影響を与えるのだ。

 ところで脳の変化がトラウマを引き起こすという発想自体は、かなり以前から存在していた。ただ一般に知られていなかっただけである。トラウマによる精神障害として初めて登場するのは、第一次世界大戦におけるいわゆる「シェルショック」という概念であったというのが定説だ。戦場の前線で砲弾や爆撃を間近に体験し、いつ命を奪われるかもしれない体験をした兵士たちが、全身の震えやパニック、逃避行動や不眠、歩行障害などの様々な心身の症状を示す現象が大きく注目された。彼らの多くは頭部に直接外傷を負っていたというわけではない。しかしこれについて英国のチャールズマイヤーズという医学者がシェルショックという名前を付けた。シェル shell とは砲弾のことであるが、マイヤーズは砲弾が近くで炸裂した際に、脳に直接外傷はなくても、その時空中を伝わる衝撃波が脳にショックを与えたせいだと考えた。ただしこのシェルショックの説もやがて棄却される運命にあった。なぜなら症状を示す兵士の多くは近くでの砲弾の炸裂そのものを経験していなかいことが明らかになったからである。

 このシェルショックという概念は、原因を脳の病変に求めるという意味では、いかにも「脳科学的」と言えるだろう。しかし当時は精神の病そのものが必ず脳のどこかに病変があるという説も一般に流布していた。「精神病とは脳病である」と唱えたドイツのグリージンガーの説(1845)がその代表であった。脳科学の兆しさえない1800年代に、精神医学者たちはすでに脳に着目していたことになる。ただしその頃は脳の仕組みはほとんど明らかにされておらず、せいぜい患者の死後の剖検で肉眼的にわかるような所見を想定する程度であった。つまり現代的な脳科学的とは大きくレベルが異なっていたのだ。

 ちなみにこの脳の衝撃波説は、2015年になりその信憑性を再発見する研究がなされている。(★)このように一度葬り去られた理論が生き返るのが科学の醍醐味である。「シェルショック」はある意味では時代を先取りした仮説であったことになる。

★“Combat Veterans' Brains Reveal Hidden Damage from IED Blasts” (Johns Hopkins Medicine, January 14, 2015)

 さてこのようなペースで書いていくとあっという間に紙数が尽きてしまう。本連載はあくまでエッセイであり、学術書ではないので、もう少し私自身の体験に則して述べたい。


トラウマで脳が変わるか?


  PTSDの登場により精神医学が活気づいている1980年代は私がアメリカで精神科医として働きだした時期であり、その当時の熱気を肌で実感することができた。米国のPTSD研究でリーダーシップを取っていたのは私が専門としていた精神分析の専門家ではなかった。臨床の現場に立ちながら、PTSDの病態を脳生理学的に説明する精神科医たちであった。それがベッセル・ヴァンデアコーク van der Kolk とその盟友であるジュディ・ハーマン Judith Herman であった。特にバンデアコークはそのオランダ語なまりの英語で精力的に米国各地講演をして回り、論文を書き、そのカリスマ性とともに大きな影響力を持っていた。

  私が精神科のレジデントをしていたメニンガークリニックにも訪れた彼は、PTSDにおいてどの様にフラッシュバックが起きるのか、トラウマ記憶とはどのようにしてつくられるかを、脳の海馬や扁桃核といった部位を示しつつ説明したが、私は最初は大いに戸惑った。その頃の私は精神科医になって10年足らず経っていたが、脳の中の具体的な部位について考えることはほとんどなかった。このエッセイの第一回目にも書いたように、私は脳の話は敬遠気味だったのである。その私が明確に、人間の脳の内部の貴重な部位に注意を払うようになったのはこの1990年台の初めである。