現代的な心身問題
これを忘れてはいけない。今年の6月1日に激しい雨の中、パシフィコ横浜の日本心身医学会の「教育講演」に呼ばれて話した内容だ。
今日は現代的な心身問題というテーマでお話します。。私は仕事柄、トラウマを負った患者さんや解離症状を持つ方々と臨床の場で出会うことが多いのですが、彼らの非常に多くが身体の症状をお持ちで、トラウマを負った方の心身問題は特に深刻であるということを痛感しております。ですから今回いただいたテーマはまさに渡りに船だったわけです。
MUSという概念
まず今回はMUSという概念の話から始まります。これはmedically unexplained disorder の頭文字です。こちらにいらっしゃるのは心療内科の先生ばかりだと思いますが、恐らくよくご存じでしょう。
このMUSというのは非常に悩ましい問題です。MUSはかねてから医学における大きなテーマでした。現在でもそれらは概ね「心因性の不可解な症状」とされる傾向にあります。昔のヒステリーという風に言われた時代がこれだったという風に考えることができると思います。ではヒステリーとは何かといえば、言わば患者さんが自作自演で症状を生み出して、その症状はといえば本人の心によって作られたようなところがあって、そこには疾病利得が存在するという考え方ですよね。そしてこのヒステリーに対する偏見を持った考え方は、ちょうどMUSにも当てはまります。そうなると症状に関する患者さんの証言そのものをまともに扱ってくれないことになります。要するにその症状っていうのは気のせいであって、気を確かに持ちさえすれば、その症状は消えてなくなる という風に考えられる傾向だったんです。 MUSは、人間が基本的に「心気的な存在」であるために常に存在する宿命にあるといえます。例えばあの今日お昼食べたものにばい菌が入っていて、食中毒になったかも知れない、一緒に食事をした人は何か食中毒になってるとなると、何か気持ち悪くて吐き気がしそうになるということは普通におきます。そうするとそれを思っているうちにどんどんそういうような吐き気の症状が明らかになってくるということは多かれ少なかれ起きます。痛みもそうですね。人間はある症状が自分に起きているのではないかと思ってそれを心配するといつの間にかその症状が現実にあるかに思われて来るような存在であり、それを少し大げさに、私達は「心気的な存在」という風にここで言っています。
さてもう一つ、MUSに属するものの一部は、「異なる科で別物として扱われる」傾向にあるということが言えます。これについてはあとで幾つかの例をお出しします。
ともかくもMUSの概念は多分に曖昧さを含み、それをいかに整備するかは、現代的なテーマでもあるということです。
MUSの概念はどのように再構成されていくか?
MUSに分類される疾患の一部は、その医学的な所見が新たに見いだされたことで外されていったという歴史があります。その例としてはME/CFS, FM, イップスなどが挙げられます。またそれとは逆に、それまで身体疾患と思われていたものがMUSに再分類されることもあります。その例としていわゆるPNES などが挙げられるでしょう。
MUSに分類される疾患は将来医学的な所見が見出される可能性もあり、身体疾患と精神疾患の両者を併せ持つものとして扱われるべきであると考えられます。すなわち精神科のみに属するものではなく、そのためには「心因性」という概念の見直しが必要であるということです。