2023年12月5日火曜日

未収録論文 13 複雑系としての脳

 複雑系としての脳と心

 心について脳の観点から考える際には、まず話を複雑系というテーマに戻さなくてはならない。というのも脳はそもそも複雑系だからだ。ここで言う複雑系とは、それを構成する部分の間の交流が、部分そのものの性質からは予測できないような新たな性質を生むような系(システム)である。

 ところでこの複雑系という概念と少し似ており、半世紀前に一世を風靡した概念がある。それがいわゆる「構造」である。構造主義という言葉をお聞きになった方は多いだろう。筆者が大学生だった頃は、この「構造」の概念がもてはやされていた。クロード・レヴィ=ストロース、フェルディナンド・ソシュール、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン等の名前が浮かんでくる。日本でも「構造と力」を書いた浅田彰氏等は時代の寵児のような扱いをされた。
 構造の概念自体は非常にダイナミックであるが、そこで生じる動きには一定のルールや法則が想定されていたというのが私の印象である。それに比べて複雑系システムにおいてはそこで起きていることが複雑すぎて、そのルールを知ることが出来ないというニュアンスを持つ。「構造」の場合はその仕組みを探求し、解明しようとするという私たちの意図があったが、複雑系の場合はむしろその様な努力を諦めているようなところがある。例えば「人体」は複雑系だが、そこでの法則を私たちは一律に知ろうとするだろうか?あるいは宇宙はどうだろうか? そのほか経済活動、生命体などあらゆるものが複雑系として理解される。そして複雑系の中で起きていることはその詳細はわからず、私たちがようやく関心を向けるようになったばかりである。そう、複雑系とはまさに未開の地である。
 そしてもちろん、ここが肝心なのだが、私達の脳がまさに複雑系なのだ。そして複雑系を私たちが理解し始めたということは、脳の生み出す心についても私たちはようやく理解し始めたに等しいということである。

これまで提唱されてきた様々な哲学理論、心理学、精神医学も例外ではない。それは少なくとも「複雑系」仕様ではなかったのだ。

 世界を複雑系としてとらえ直す、とはどういうことかについて、心の問題とは直接関係ないが、一つ例を挙げておきたい。私たちが日常的に体験している地震を例に取ろう。地震は忘れたころにやってきて、それがいつ起きるかを予想することは極めて難しい。東海地震などは何度も予測されては肩透かしを食らってきた。しかしこの地震の起き方には、ある驚くべきルールがある事が分かっている。それは地震の大きさ(マグニチュード)と、その頻度の対数の関係を見ると逆比例の関係があるということだ。グーテンベルグ・リヒター則と呼ばれるこの法則は、1941年に発見された。これにより少なくとも地震の起きる頻度についての「予測」はかなり出来るようになっているのだ。


               以下略