ここでお話したいのは、ジル・ボルト・テイラーという脳科学者の体験記が私に与えたインパクトの大きさである。というのも私は彼女の手記を読んで初めて、自他未分離の状態、宇宙と一体となった状態という事の意味が分かった気がしたからである。ウィニコットの言う絶対依存の状態、というのは私には正直絵空事だったのである。単なる想像の世界であり、そこに科学的な根拠があるとは思えなかったのだ。しかし他方では脳出血や脳梗塞などのような事態で人が極めて特異な体験をする事もわかっている。脳梗塞等による右半球の損傷による半側無視等はその最たるものだ。視野の左半分に見えるはずのものを完全に無視する。時計の文字盤を描くように言われると、与えられた円の右半分に1から12までを押し込めてしまう。右脳卒中の80パーセント、左脳卒中の43パーセントでこれが起きるという。という事は私もまた同様の状況では同じ体験を持つことになる。
では右脳のみの世界を体験した人に話を聞くと、乳児の右脳の世界が分かるのではないか。
テイラー女史が体験したことの記述はまさにそれであり、彼女が書いていることはまさにウィニコットの絶体依存の状況に近いのである。
「身体的な境界の意識がないため、自分と他人を別の存在として区別することが出来ず、全ての人が一つの生命体の集合的なエネルギーと感じた。」
「(左脳がついに完全停止を余儀なくされたとき)私は右脳の安らかな意識に包まれ、そこでは危機感がすっかり失われ、・・・・ただこの瞬間だけに存在した。(J.B. テイラー)
「右脳のみの世界では)自分が融けて流れ、周囲と自分との間の境界線が消えてしまったかの脳な感覚や、宇宙と一体化したような心地よさを体験した。(J.B. テイラー)」
テイラー女史の著書は私達の左右脳の違いに関する理解をもう一歩進めてくれる。以下は別のところにまとめた内容になる。「脳科学と臨床心理」第8回に以下のように書いた。
著者のテイラー女史は、左右脳の機能をさらに二つに分け、合計4つの脳があるとするが、これは非常にもっともな理屈である。なぜなら左右脳とも大脳皮質(思考をつかさどる)と大脳辺縁系(感情に関係する)を有しているからである。これらを彼女は4つのキャラクター(日本語訳では「キャラ」)に分けている。それらはキャラ1(左脳の思考部分に相当)、キャラ2(左脳の感情部分)、キャラ3(右脳の感情部分)、キャラ4(右脳の思考部分)である。それをあえて説明的に表すと以下のようになる。
左思考脳・・・・・・ 論理的、詳細志向的、客観的、分析的、言語的、過去志向的。
左感情脳・・・・・・用心深い、恐怖に基づく、猜疑心、融通が利かず、利己的、批判的
右感情脳・・・・・・優しい、大らか、無条件で愛する、恐れ知らず、信頼、感謝
右思考脳・・・・・・大枠志向、主観的、象徴やイメージ、抑揚やメロディー、未来志向。
テイラー女史の本を読むと、これまで左脳として強調されてきたのはどちらかと言えば左思考脳のことであり、右脳として強調されてきたのは、右思考脳だったということになる。また右脳は左脳より早期に発達するという理解がアラン・ショア (Schore, 2019) その他により示されたが、それには少し修正されるべきところもあろう。たしかに左思考脳は遅れて発達するであろうが、左感情脳は闘争・逃避反応を起こすような部分であり、これは左脳の中でも生後かなり早い時期から活動を開始する必要がある。さもないと赤ん坊は厳しい自然界で生きていけないことになるのだ。