2023年9月21日木曜日

「ウイニコットフォーラムにむけて」を少し書き直した

11月の「ウイニコットフォーラム」、ネットでHPを見たら、なんと私は一時間の特別講演の役だった。シンポジストの一人として20分程度だと勘違いしていた。大変な大役である。急に緊張してきた。 


抄録)

ウィニコットは大変な慧眼の持ち主であり、フロイトのすぐ後の世代にありながら、その理論は精神分析のはるか未来を予見していた。その関心は本能論や内的欲動論にはもはやなく、乳幼児の置かれた環境、特に母親との関りの持つ意味とそれが生み出す病理に向けられた。そして患者を「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患者]と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていいた患者[精神病、ボーダーラインの患者]とに区別し、特に後者を論じることで幼少時における関係トラウマ(A.ショア)の概念を見事に先取りしていたと言える。ウィニコットの侵襲の概念はトラウマの生じる過程を微細にかつ経時的に捉えた「トラウマの現象学」と言えよう。

 ウィニコットは生涯その理論を発展させ続けたことでも知られるが、晩年のウィニコットは彼独自の立場が精神分析に革命をもたらすべきものと考えていたようであり、その言葉は攻撃的ですらある。「抑圧された無意識を扱う時は、私達は患者や確立された防衛と共謀しているのだ。」そして「多くの素晴らしい分析のよくある失敗は、全体として見える人の用いた抑圧に関連した素材に隠された、患者の解離された部分に明らかに関連しているということを私たちはそのうち結論付けなくてはならない。」とまで言う。このように最晩年のウィニコットはトラウマや解離にますます傾斜していたといえる。

 ウィニコットの死後出版された「ブレイクダウンへの恐れ Fear of Breakdown 」(1974)」では、トラウマの本質的な性質について明らかにしている。すなわち母子関係の断裂(ブレイクダウン)が自己の成立以前に生じ、それは乳幼児に「すでに起きたにもかかわらず、まだ体験されていない」という。さらにその体験は自己から解離し、多くの精神分析プロセスを逃れると考える。ウィニコットはこのプロセスの説明のために、健全な自己においては、部分たちが内側から外側へと凝集することで全体性を達成する、とした。そして母親の「生き残らないこと」や狂気は、この凝集性の達成を阻害し、部分が解離されたままで残り続けることで自我障害やスキゾイド人格が形成されるとした。

ウィニコットの症例の中には実際に人格の解離を呈していると思しき例が見らえる。特に「遊びと現実」(1971)の「男性と女性に見出されるべき、スプリットオフされた男性と女性の部分」(p.72∼74) から例を取り上げ、ウィニコットの治療姿勢について考えたい。