ちなみに赤ちゃんを育てる側の母親もまた、右脳を全開にしていることが知られている。母親は恐らく赤ちゃんにいろいろ言葉をかけているであろうが、もちろんそれが通じるとは思っていない。声の抑揚や優しい表情などで赤ちゃんと心を通じさせる。この時に主として機能しているのは母親の右脳である。母親は赤ちゃんの置かれている状況を大づかみで理解し、自らの情緒を用いて赤ちゃんと関わる。そしてここに母親の右脳と赤ちゃんの右脳どうしの一種の交信が起きると言われている。両方が共鳴ないし共振し合っていると言っていい。二つの音叉を並べて片方をハンマーで打ち音を鳴らすと、もう一つもなり出す。母親も自らの右脳を働かせて赤ちゃんの右脳を刺激し、働かせるということが生じているという。
この分野の研究でのショアの見解はとても参考になる。母親が乳児を見守る際には、右脳の様々な機能が動員されるという。右半球は情緒と表情の処理だけでなく、声の抑揚、注意、触覚情報の処理にも関与する。右脳は非意識的 nonconscious 反応や表出や情緒の交流を司る。共感は主として右脳(特に眼窩前頭前野)においてなされる。
この文脈でデュマの母子間の右脳のコミュニケーションの理論は参考になる。
左脳は虚言症か、サイコパスか?
さて右脳が人間の本質であるとしたら、一歳を過ぎて子供は何を始めるのだろうか? 言葉を覚え、自分の考えを伝えるという営みにワンテンポ遅れて子供が覚えるのは、自らを偽ることだろう。子供は悪戯をして障子を破き、(とにかく上げる例がレトロすぎて恥ずかしいが)それを見つけた母親に見つかる。そして「これやったの誰?」と聞かれた時どうするだろうか? まだ言葉を話さない幼児だったら、おそらく下を向くか、そっぽを向くだろう。これは同じことが起きた時のワンちゃんの反応と同じだ。最近はインターネットで動物ネタが多いのでこの種の動画には事欠かないが、ある賢いワンちゃんは、ご主人様に叱られると下を向くだけでなく、一緒に飼われている小さい方の犬の顔を見る。「お前がやったんだろう?」と言いたげのように、だ。
さてほぼ右脳の言葉を話す前の幼児も似たような反応をするだろう。しかし言葉を覚えた子なら、言葉を用いることで、そっぽを向くよりもはるかに効率よく窮地を逃れられるという事だ。「僕じゃないよ。」あるいは「◎ちゃんがやったよ」とウソをつくかもしれない。言葉を覚えた子供がかなり早期から発見するのは、本当でないことを言うことが自分にとっていかに(短絡的な意味でではあれ)自分に有利かという事だ。そしておそらく最初はそれにあまり後ろめたさを感じないかも知れない。
私がこの件についてとても興味を覚えたのは次のような実験だ。
Miller とGazzaniga は2009年の実験で、二人の分離脳患者に二つのストーリーを提示した。一つはある部下が上司を殺害しようとするが、毒と間違えて砂糖を盛ってしまった。(その結果殺害には至らなかった。)もう一つはある部下が上司に砂糖を提供しようとして間違えて毒をわたし、その結果殺害してしまった。これを右脳だけの人と左脳だけの人に聞かせると、何と左脳だけの人は、両者の道徳的な意味を区別することが出来なかったというのだ。