2023年8月23日水曜日

男性性とトラウマ 文字起こし 4

 さてこれまでの論述から言えることは、男性の性愛性は多くの加害性を有するとともに悲劇的な色彩を持っているということである。一つの悲劇は、サイコパス性や小児性愛の多くは生得的なものと考えられ、それらの性質を備えた人は自らそれを選んだというわけではなく、生まれながらにして加害性を背負っていることである。もう一つはひょっとしたら侵入的、暴力的、サディスティックな性質は男性の性的ファンタジーや性行動にとって本質の一部ではないかということである。実は男性の性愛的なファンタジーが攻撃的な性質を有するということは、巷で言われているほどにはエビデンスはないという研究も見たことはあるが、ここでは詳しい話は割愛しよう。(実はこの発表の前にチャットGPT4に、男性のファンタジーがより暴力的だというエビデンスはあるのかと尋ねたところ、そのような答えだった。)
 しかしもう一つの、おそらく最大の悲劇性は、男性が性的な存在であることそのものが、すでに加害性を帯びている可能性があることである。私の患者さんで街に出ると男性がいるだけで、その男性から視線を浴びるだけでパニックが起きたり、場合によっては過去の性被害のフラッシュバックが起きるという方もいる。これは男性は女性に視線を向けることにも後ろめたさを感じる必要があるということなのだろうか?
男性は不感症」という議論と嗜癖モデル
 ここでこのテーマに関する学術的な論考を探し、森岡正博(2004)の「感じない男」ちくま新書)に行きついた。彼の理論は以下のいくつかの要点にまとめられる。

· 男性にとっての性的興奮の高まりは、その行為が終わることで一挙に消えてしまい、その快感の程度は極めて低い。
· それに比べて女性ははるかに強くまた継続的な快感を体験し、それに対して男性は羨望の念を持つ。
· それが女性に対する攻撃性として表れることがある。

 さて私はこの森岡氏の議論に一部賛成で、一部は意見が異なる。それを含めて、男性の性愛性と嗜癖モデルということでここで提示したい。
 まず一つ言えることは、男性は不感症とまでは言えないかもしれないが、その性的な欲求は、それが楽しさや心地よさには必ずしもつながらず、ただエクスタシーを求めて突き進むというところがあるということだ。男性の性的満足の機序は、嗜癖モデルにも似て、 いわゆるincentive sensitization model (ISM)に従った理解をすることが出来る。すなわち性的な刺激を受けると抑えが効かないような衝動が生まれる。
 男性が性的満足を追求する時、目の前の対象と共に心地よさを追求するということからはどうしても逸脱する。男性はその瞬間は別の人を想像している。これは女性をモノ扱いすること objectification に繋がる。
  ここで参考までに、この incentive sensitization model(ISM) について一言説明したい。
嗜癖行動においては、最近liking と wanting は違う、という議論をしばしば耳にする(Berridge, 2011)。そして嗜癖が生じると、人は liking (心地よく感じること)よりも wanting (渇望すること)に突き動かされる。つまり心地よくもないことに駆り立てられることになる。すると何らかの刺激 cue は wanting を著しく増大させるが liking には変化を及ぼさない、という奇妙なことが起きるのだ。男性においては性的な衝動が刺激により生じると、強烈な渇望が生まれ、それを途中で止めることが非常に難しい。
Berridge, K. C., & Robinson, T. E. (2011). Drug addiction as incentive sensitization Addiction and responsibility, 21-54. The MIT Press.