2023年8月16日水曜日

現代的な心身医学 文字起こし3

 さて、この様な動きは何を意味しているのでしょうか。それは医学的な所見の見いだせない症状について、心因や疾病利得の存在を疑う根拠が十分でないことが再認識されてきたということを如実に表しています。そしてこのことはMUSに対する考え方そのものを見直す必要性を意味しているのではないか?
 最後に現代における心身問題について、総括を致します。MUSをいかに扱うかは、時代を超えた問題であるという最初の私のお話がある程度伝わったでしょうか。
 まずMUSはいまだに現代社会におけるヒステリーの意味を担っているということです。そしてMUSに含まれる疾患は医学研究と共に入れ替わっていくという性質を持つという事実を示しました。
 次にDSM-5、ICD-11 において心因や転換性という概念が消えていく傾向にあり、それは「MUSイコール心因性、心の病」という誤解を解き、「脱ヒステリー化」を推進するものと思われる。
 その結果として、今後MUSを示す患者は、心の病として精神科に回されるのではなく、症状の存在を認め、それに応じた治療(対症療法)を施されるべきではないか。これは欧米の文献を見ると一目瞭然です。MUSに属するような疾患を身体の専門科と精神科とが同時に扱うべきであるという議論が非常に多く聞かれます。ただ私は我が国においてはそれ等を扱う科はすでにあると思います。いうまでもなくそれは心療内科です。更に示したのは、欧米において最近見られるのは、MUSは今後身体科と精神科が歩調を合わせて治療が行われる傾向です。(従来は身体科と精神科の「押し付け合い」が多くみられていたのですが、その様な傾向に対する反省が起きているのです。
 ところで・・・・最後に余談ですが、MUSという名称は再考されるべきであろうか? という疑問を皆さまは御持ちではないでしょうか。すると代案としては、“Functional disorder? “ (機能性障害?機能症?) でしょうか。しかしこれはいかにも英語でも日本語としておかしいですね。「機能症」という短い語の中に、今日お話したような複雑な事情が混められるようにはとても思えませうん。
あるいは 「身体表現性障害 somatoform disorder」というのはどうでしょうか。しかしこれはDSM-IVにおいて用いられていた言葉であり、そこに回帰することは得策でしょうか。というよりも「身体表現性」の「表現」という言葉自体が、心因性を前提としているということで、そのスティグマ性から外されたという歴史があります。
結局はICD-11に掲げられている「身体的苦痛症」「身体的体験症」くらいにおちついてしまうわけです。