2023年8月5日土曜日

連載エッセイ 7の5

 少なくとも人間のはデュアルコアであるということはここで示せたと思う。それもかなり見事な機能の仕方をしている。両者は切断しても、おそらく異変に気が付かずにこれまでの通常の機能を維持する。すなわち「通常の機能」自体が二つのコアにおける活動を基盤にしているということだ。それは両者からのインプットを基盤に左脳で統合しているという形を取る。そのことがよく分かるのがジョーの例だ。彼は左右脳が切り離されていても、それに頓着しなかったようである。そして左右の脳がお互いを知らず、あたかも別個の人間のようにふるまっているというのが決め手といえるだろう。
 ところでこのことから多重人格状態において起きていることについて類推することには極めて大きな飛躍がある事になる。例えば次のような仮説でさえ、すでにうまくいかない。
 「いわゆる二重人格、すなわちAさんという人格とBさんという人格を持つ状態については、それをそれぞれが左右脳の何方かに宿っているものと想定することが出来る。」
これが正しいのであれば、どんなにやりやすいであろう。私達はよく「ジキルとハイド」のことを考える。(言うまでもなくスティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という小説に由来する。))ただしDIDにおいては交代人格が一人だけ、つまり主人格と合わせて二つの人格、ということはあまりなく、たいていはかなりの数(しばしば二けた以上)を示す。右脳に一つ、左脳に一つという別れ方はしない。それに右脳は言葉を操ることが出来ないというハンディを負うが、DIDの人格たちは通常はどの人格も普通に自分の立場を表現する。つまりDIDにおいて見られる「コア」は左右脳のどちらかに限局されることなく、いわばいくつものソフトウェアがコンピューター上で動くようにして、かなり自由奔放に脳を使って活動をする。ではその「コア」を構成するものは何か?