2023年6月5日月曜日

社会的トラウマ 10

 このところ調べている Incentive sensitization model が面白い。この理論の提唱者であるKent Berridge の論文(最近はかなりのものがネットでただで手に入る)を読んでみると、確かに重要なことが書いてある。

Berridge, K. C., & Robinson, T. E. (2011). Drug addiction as incentive sensitization. Addiction and responsibility, 21-54. The MIT Press.

 そもそも私たちが考えていた嗜癖の理論は不完全だったというのだ。最初は好ましく思っていた(liking のプロセス)薬物などの刺激に慣れてくると、好ましい感じが失せても必要とする時期(wanting)が来る。それが嗜癖というわけだ。ではどうしてそれでもヤクに手を出すのか。その理由としては離脱の苦しさ、というのが定説だった。私もそう考えていた。「やると気持ちいい」→「やらないと苦しい」に代わるというわけである。ところがBerridge 先生によるとこの理論は必ずしも正しくないという。そもそも離脱がそれほど苦しくない薬物もある。コカインも覚せい剤も、ヤクが切れると「潰れ」の時期が来る。鬱で体が動かない状態だ。でもヘロインのような塗炭の苦しみではない。それに…とこの論文は言う。苦しい離脱の時期が過ぎたとしても、例えば注射器や白い粉を見ただけで途轍もなくヤクを使いたくなる。依存症の人の生活で何が苦しいかと言えば、離脱の苦しみを毎日味わうということではない。日常生活で出会う様々な cue によりスリップしたくなる衝動をいかに抑えるか、ということだ。だから覚せい剤中毒の人にとって刑務所にいることはさほど苦痛ではないだろう。絶対にヤクが手に入らず、それに関する誘惑がない環境はむしろ過ごしやすいわけだ。← ここら辺は私自身にその経験がないのでかなり想像が入っている。

ところで脱線だ。次のような状況はどうだろう? もちろん実際の人間を実験台に用いることは出来ないので、思考実験である。ある受刑囚を薬物により昏睡状態にしたうえで、依存薬物を与える。覚せい剤の静脈注射を例えば数日に一度、など。そして無意識状態での依存症を形成するとする。その人が覚醒して体験することはどういうことだろうか。彼は苦しいだろうか。何かをすることでその苦しみから逃れることが出来るとわかっていても、自分が薬物の静脈注射を受けたということは一切記憶にない。だから注射器を目にしても、白い粉を与えられても何のことだかわからないであろう。では彼は特に薬物依存を形成していない人と同じような生活が送れるのだろうか? そもそも渇望は体験せず、苦しさもないのか?

この質問、チャット君に英語でしてみた。すると・・・・・

結構答えてくれるのである。それが以下の問答である。

 私:Regarding  the incentive sensitization model, an addict might show an intensive desire to use drugs when a cue for the drug use is given, such as a picture of syringes or white powder, etc. However, if the addict is unconscious throughout the process of addiction formation, he might be totally unaware of these cues. Does that mean that in such a situation, the addict does not demonstrate any craving in his daily situation and therefore is practically able to live a normal life, like non-addict?

チャット君は即座に返してきた。かなり長文なので、そのうち要点だけを抽出しよう。

If an addict is unconscious throughout the process of addiction formation and does not consciously experience or associate cues with drug use, it is possible that they may not exhibit the same intense craving in their daily life when exposed to those cues. In such a situation, the addict might not demonstrate the same level of craving or experience the same triggers as a conscious addict would.

 理屈から言えばそうですね。意識的には薬物の使用を思わせるような Cue に反応することのない依存症の人を作ることが出来るでしょう。

そうか、チャット君もそう思うか。ところが以下の文章が続く。 

Unconscious exposure to drugs and cues associated with drug use may still have underlying neurobiological effects, even if the individual is not consciously aware of them. . Additionally, addiction involves other aspects such as physical dependence, withdrawal symptoms, and various social, psychological, and behavioral consequences, which may impact an addict's ability to live a normal life.

 薬物医の使用に関連した無意識的な暴露により神経生物学的な効果は引き起こされるであろう。それに嗜癖は他の問題、例えば身体的な依存、離脱症状、そして様々な社会的、心理的、行動的な結果がその人が正常な生活を送ることが出来るかという問題に関わってくる

 もちろんチャット君の回答が正しいという保証はないが、私の考えを否定するような研究成果も特にないらしいのだ。

ただし私がここで問題にしている点についてお判りいただきたい。依存や嗜癖とはどういうことか。あることをしたら嗜癖物質や嗜癖行動に至ることが出来るという状況の認知的な把握により、渇望が生まれるのだろうか。例えば現金を持ってパチンコ屋に行ったら、またパチンコが出来るとわかったら、いてもたってもいられずに同僚の財布からお金を抜き取るなどの行為が起きるのであり、そもそもパチンコの台が存在しないような異国の地ではそれをできなくて苦しむということがないのか。ともかくも依存の問題はとてつもなく奥が深く、「離脱が苦しいから嗜癖行動や嗜癖物質に舞い戻る」という単純なものではないことだけは確かなことである。

私はまだIncentive sensitization model を把握できていないが、このモデルは恐らくそのような問題提起をしているだけで、特にその解決方法を示しているわけではないと言えるだろう。