2023年5月19日金曜日

社会的なトラウマ 3

 Jared Sexton の文章を読む限り、さすがにアメリカの男性はひどすぎる。そして興味深いのは英語圏においては侮辱的な言葉は非常にしばしば性的な意味を含んでいるということだ。米国での最悪の言葉はおそらくf●●k であろうが、これは性交を意味する。SOBとかFUとかMFなどの最悪な放送禁止用語は、それぞれ「尻軽女の息子」、「お前をf●●kしてやるぞ」「母親をf●●kする奴」などという文字にしていても情けなくなるような言葉だ。ところが日本語にはこれがあまりない。せいぜいあっても「お前のカーちゃんデ●ソ」程度で、日本の悪口の方がはるかに品がいい(?)。つまりは欧米の男性性の劣悪さと日本の男性の劣悪さは程度が違う、ということになるだろうか? いや男性のトラウマ性について日本人のそれを過少視するつもりはないが、少なくともSexton のいう有毒な男性性Toxic masculinity という概念を追っても、日本人の男性性の問題とは質が違いそうだということである。
ともかくも何ごとにも性が結びついてくる「肉食系」の文化と日本の「草食系」の文化には顕著な相違がありそうであり、それがトラウマと性被害という問題にも影響を与えるだろうということだ。
私が特に注目したいのは男性の絡む犯罪には、非道徳的ないし非倫理的な行動というよりは病的、生理的、ないし嗜癖としての性質が強いということである。最近のジャニーズ関連の報道を見ていてもそのような感じがするのである。
 男性性の持つ毒性についてさらにいえば、被害者もまた男性であることが少なくないということだ。ジャニー喜多川についていえば、犠牲者は未成年の男性である。またかつて米国を震撼させたジェフリー・ダーマー(1980年代に17人の青少年を絞殺、死体切断、人肉食)の場合も被害者は男性。
 ただし以上は性犯罪について言えることであり、例えば独裁者が繰り返す殺戮や弾圧がなぜ100%男性によるものかについては明らかにはならないだろう。
 実はこのテーマは8月にある「社会的トラウマ」のディスカッサントをお引き受けしたことに関連して考えていることだが、一気に重苦しく、考えるのも苦痛なテーマになってしまう。でも避けて通ることが出来ないテーマでもある。