2023年4月21日金曜日

共感の脳科学 推敲 7

 まとめ

この章では「共感の脳科学」と題して、共感に関する最近の脳科学的な知見をまとめてみました。その骨子は共感を情緒的な共感と認知的な共感に分け、後者を心の理論ToMと同等のものと見なして、それをさらに認知的なToMと情緒的なToMと分けるという最近の動向です。しかし共感という言葉自体が多義的で、それが含む内容もきわめて幅広く、このような分類は一つの便法でしかありません。他者に共感を向ける際には、他者が置かれた状況を認知的に理解すること、自分自身がその他者の状況に置かれた場合を想像することなどの様々な認知的作業が関わり、また同時にその他者の情動的ないし身体的表現を感覚的に感じ取り、それに対する自らの情緒的な反応を示すというプロセスも同様に関わります。そして後者にはミラーニューロンシステムも深く関与していると考えざるをえません。

私達の共感の機能やこれらの総合的な働きと考えることが出来ますが、それは一部には生得的なものがあり、他方では母子関係によりはぐくまれる部分もあります。後者に関してはアランショアの研究が示すところです。

その上で治療者が備えているべき共感能力や、持つべき共感的な態度について考察しました。そこで注目すべき二種類の共感について示しました。それはいわゆるセンチメンタルな思いやりsentimental compassionと偉大なる思いやり great compassion という考え方です。これを私はS共感とG共感として言い表しました。前者は概ね情緒的な共感に相当し、後者は情動的ToMに相当するという関係があるようです。この二つをあえて区別するならば、センチメンタルな共感が扁桃核の活動を伴うのに対し、偉大なる共感はむしろ認知的なプロセスを含み、前頭葉の機能を用いて自らの情動を制御する方向に働くことになります。しかしマインドフルネスの研究が示すように、それはマインドフルネスの瞑想を行うことによりさらに大きな脳のネットワークの改変に向かうものと考えられるかもしれません。それは3モードの間の結びつきの深まりであり、言葉を変えれば脳が一つのネットワークの過剰な興奮に留まらない、より柔軟で流動的な働きに導くということです。それは自らの心をいたわりつつ他者に寄り添い、援助するという私たち臨床家の役割に一致した方向性を示していると考えられるでしょう。

最後に皆さんに問うてみましょう。S共感とG共感の両者はどのように関係しているのでしょうか。私はいかなる人間も例えば肉親の苦しみに平然といられることはないのではないかと思います。その意味でS共感は人間にとって必須の能力とさえ言えるでしょう。しかしその上で必要に応じてG共感に切り替えることが出来る能力もまた必要ではないかと思います。他者の苦しみを前にして、一緒に苦しむことは、その他者のためにも自分のためにもならないような状況で、人はそれを乗り越えた力を発揮するでしょう。そしてその種の能力が治療者にはどうしても必要になるのです。

この短い論考で共感についてカバーすることはとても無理でしたが、少しでも臨床家の参考になれば幸いです。