今回から脳科学の話に入るが、そもそも脳科学は私たちに何か重要な情報を与えてくれるのだろうかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。それについては間違いなく「イエス」である。人の心や行動が変調をきたした場合、それが心の病ではなく、脳の病であったということが分かることで、その人に何が起きていたのかを理解することがある。それは間違いない。はるか昔、まだヒステリー(今でいう解離性障害)性の痙攣と癲癇との区別がついていない時代があった。両方とも患者さんが全身を震わせ、しばしば意識をなくすという点は同じである。ところが1929年にドイツのハンス・ベルガーにより脳波が発見された。神経細胞が微弱な電気を発していて、その波が一緒になって大波を形成して、いわば脳の中で脳波の嵐が起きることで生じる癲癇という病気が発見された。すると全身を痙攣させる人の一部は、脳波異常を伴う人とそうでない人に分かれた。脳波の嵐が起きている人は後に抗癲癇薬を飲むことで改善することが分かったのである。
この脳波の発見から、精神医学者たちは脳の中に複雑な電気信号が行きかっていることを知った。それは脳神経細胞の一群が集団で同じリズムを生み出すことを示していた。その周波数によりα波やβ波と呼ばれているが、それはここの神経細胞がバラバラに電気信号を出しているだけでは説明が付かなかった。もちろん脳の内部を画像により知る技術(CTやMRIなど)が開発されるはるか昔の時代である。でも脳の働きがある種の電気信号の行きかうことと関係しているということはわかっていた。(この点は重要なので覚えておいていただいたい。今日のテーマである「ニューラルネットワーク」とも深く関係していることだ。)
やがて画像機器が進化し、CTスキャンやMRIは脳の内部を可視化させていった。そして様々なテクノロジーによりその内部が示されるようになった。そのうちの一つをご覧いただこう。(図省略)これは拡散テンソル画像というものだが、脳の中にはきめ細かな線維が走っていて、大脳の表面の膨大な数の神経細胞(図ではその部分は描かれていない)との間にネットワークを形成している。そこの電気信号が脳波計により拾われていたのだ。
私個人にとって脳科学の成果の偉大さが深く刻まれた例を挙げて、それからニューラルネットワークの話に行こう。(岡野:精神分析新時代.岩崎学術出版社2018年を一部引用する。)
この研究の画期的なところは、例えばロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)にある状態の人への理解が深まったことである。この症状群では脳幹の一部が損傷して、それこそ目しか動かせない状態で、「この人は意識がないのではないか?」と思われる場合にも、実際には意識がはっきりしていて周囲の声は全部聞こえて理解されているということがあるという。しかしこれまではそれをなかなか証明できなかった。しかしこのような状態の人の脳に電気刺激をして画像上どの程度脳が「鳴る」かを見ることで、実際にはその人が一見昏睡状態で全く反応が見られなくても、意識の存在を知ることが出来るという。
Massimini,M., Tononi, G (2013) Nulla di più
grande. Dalla veglia al sonno, dal coma al sogno: il segreto della coscienza e
la sua misura. Baldini-Castoldi Editore, 2013 (マルチェッロ・マッスイミーニ、ジュリオ・トノーニ著、花本知子訳 意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論 コトモモ社、2015年)
同様の研究は、ケンブリッジ大学の神経科学者であるスリバス・チェヌも発表している。https://wired.jp/2014/10/20/neural-signature-consciousness/?site=pc)一般に用いられる脳波計を用いて、が開発したこのシステムは、一般的に使用される脳波(EEG)信号を、数学の一分野であるグラフ理論を使って解析するものだ。彼は同期化された神経活動のパターンを示す装置を考案した。そして意識があるというのは、これが脳全体に広がるということを示した。下の図では、一番右の図は、意識がある人が示すカラフルなモヒカンのようなパターンである。そして左と真ん中は昏睡状態にあった二人の患者であり、一番右は決して昏睡から回復しなかったが、真ん中の患者は回復したという。