2023年3月13日月曜日

地獄は他者か? 3

 ここまでの話を少しまとめると、次のようになる。まず対人体験はそれ自体が極めて複合的な体験であり、また実際には多くの危険性をはらむが、多くの場合私たちはその危険性に対する警戒心をオフにすることにより、ようやく対人関係を持てている。そしてそれが可能になるためには、愛着のプロセスでその安全性が保障される必要がある。もちろんその安全性は完全なものではなく、それが突然崩される可能性はあるが、それに対する警戒を続けるならば対人体験自体が成立しないことになりかねない。そこで私たちは他者は、そして世界は安全だという想定を行うことで毎日を生き延びていく。例えるならば私たちは頻繁に乗る飛行機が極めて低い確率で墜落する可能性があっても、そのことについて「考えないようにする」という一種の自己欺瞞を一つの能力として獲得することで飛行機を利用できるのだ。

最初の対人体験は母親(あるいは主たるケアテーカー)である。いわゆる愛着が形成されるプロセスで母親と乳幼児は視線を合わせ、接触し合い、声を出し合ってやり取りを行っていく。そして先日書いた「こちらが見る―こちらの視線を浴びた他者を見る―こちらの視線を浴びた他者を見ている私の視線を浴びた他者を見る・・・・・という風に鏡面反射現象となる。そしてそれぞれの段階に「そういう自分を相手がどう思っているんだろう?」という思考が入り混じる」という複雑極まりない体験を行い、マスターしていく。自然とこれが行えるようになるのだ。すると同じことを母親以外の他者とも行えるようになる。それは父親にも同胞にも、そして親しい友達とも行えるようになる。すると見知らぬ大人に向かっても、同じようなことが出来ると考えて微笑みかけるだろう。そしてそれは大抵上手く行く。その見知らぬ他人は母親の両親だったりするから喜んで付き合ってくれるだろう。

ちなみに母親との対人体験のマスターは乳幼児にとってはとても快楽的で喜びを伴ったものであることは推察される。アラン・ショアなどの研究では、母親と乳幼児は右脳同士を互いに同期化し合って関係を続けていく。すると母親が用いて乳幼児とのかかわりを行っている眼窩前頭部、頭頂側頭連合野脳の種々の部位は、乳幼児の同様の部位を賦活し、後者の神経ネットワークが形成され、鍛えられていく。この神経ネットワークの形成は基本的には快楽的である。というかそれを快楽的と感じ、むさぼるようにして行うような性質を持った生命体が今日まで生き残ってきたのだ。