2023年2月9日木曜日

ある巻頭言 推敲 上

 栄えある学術誌「●●療法」の巻頭言を書かせていただく光栄を得た。そこで改めて精神療法家とは何かを考える上で、私のこれまでの経験を振り返りたい。

精神療法は私の専門分野の一つであると自認しているが、自分が精神分析家の資格を有することはその支えのひとつとなっている。私が米国で精神分析家の資格を得たのは2003年である。2004年に帰国して日本精神分析協会でもその資格を認められたのが2005年。訓練分析家になったのはそれから13年後の2018年のことである。ちなみに訓練分析家とは、精神分析家になるためのトレーニングを受けている方々(候補生という)の精神分析(いわゆる「教育分析」)を委託される立場である。現在日本の精神分析協会では13名がその資格を有し、私はその一人というわけである。

精神分析家の訓練の最終段階であるこの資格を持っているということについては、私にもどこかに満足感がある。そして私をこれまで導いてくださった先生方や仲間、そして協力を惜しまなかった家族に感謝の念がある。しかし私は同時に若干の後ろめたさを感じる。「こんな私が訓練分析家でいいのだろうか?」「私にそれだけの資質があるのだろうか?」という疑いは常に頭をかすめる。それはなぜだろうか?

そもそも私は日本で分析家の資格を認められた後も、その上の訓練分析家を目指すということは頭にはなかった。精神科医としての外来の仕事と大学院での教育のかけもちで、とてもそれどころではなかったというのが正直なところであった。しかし「キミも訓練分析家の資格にチャレンジしてみたらいいじゃないか?」と、大先輩の分析家A先生からの思いがけない励ましがあり、もうひと踏ん張りしようという気持ちになった。そして新たな覚悟で週4回の精神分析のケースを再び持ち始めた。それは大学院や病院勤務、そして家庭生活などに様々な影響を及ぼすこととなったが、気が付くと数年後に私は訓練分析家になるための関門をクリアー出来て、晴れて教育分析家になったのである。そしてそこから振り返って何が見えるのか、ということがこの「巻頭言」で語ってみたいテーマなのだ。

 私が改めて思うのは、精神分析協会というのは一種のヒエラルキーの支配する世界であるということだ。そして分析家や訓練分析家はある種の権威を不可避的に伴うのである。そのヒエラルキーを上り詰めることにはある種の手続きが必要となる。それには相当の時間と労力が必要となり、それをクリアーする事のできた人間が分析家や訓練分析家となるのだ。では彼らは優れた資質を備えた精神療法家であったからこそそれを達成できたのだろうか? 必ずしもそうとは言えないであろう。

もちろん「手続きを踏むことの出来た人」と「療法家として優れた資質を持つ人」が全然別物ということはないだろう。しかしやはり両者は異なる。「優れた資質を持つ人」とは極めて漠然とした言い方だが、その様なものがあることにしてここでは話を進める。するとそれをあまり持たない人が程よい知性を備え、強い目的意識を維持しつつ所定の「手続き」を踏めば、その人が精神分析家や訓練分析家になる可能性はかなり高いであろうというのが、私の経験から言えることだ。もちろんそれを支える時間と資力と家族の支えが得られ、そしてある程度の運があるならば、の話であるが。