今日は世の中は元日である。
昨日は午前中3時間ほどかけて部屋を整理したが、整理というよりごみを捨てただけという感じである。整理が出来ないのは子供のころからの悪癖である。最近「よくそんなにちゃんとできますね」と言われることが出来たが、それは必要に迫られて手に入れた本をスキャンしては破棄するということだろうか。幸い私にとって必要な書類や書籍はアイパッドの中に整然と並んでいる。でもこれは、紙のまま持ち続けたらいよいよ収拾がつかなくなることをどこかで知っているからで、かろうじて防衛機制が働いていることを意味する。
ともあれPDFで本を読んで気になって印をつけるということをいわば強制的に身に着けさせてくれたのは、私の8年間の東京―京都往復生活であった。新幹線に何冊も本を持ち込むのはさすがにキツイ。この一種の行動療法の機会がなければ、私はまだきっと言っていたはずである。「やはり紙の本をめくって読まなきゃ、頭に入らないよね・・・」
ともあれ今年もよろしくお願いいたします。
発達障害とPD 続き
ところでそろそろ推敲段階と思っていたこの論文(というより短いエッセイ)だが、少し書き換えなくてはならない。というのもいわゆるスキゾタイパル(統合失調型)PDの方がASDとの鑑別で論じられることが多いというのが分かったのである。つまりこのエッセイの中ではすでに「感情制限型スキゾイド」として登場している。スキゾタイパルは、DSMの定義としては、関係念慮、奇妙な/魔術的思考、錯覚、疑い深さ、親しい友人の欠如、過剰な社交不安である。つまり孤立傾向をのぞいたらかなりスキゾイドの定義とは異なり、統合失調症の一歩手前という印象だ。実際それとの関連は想定されており、DSMではそれが病前にあれば、統合失調型PD(病前)と表示するという指示がある。私はこれについては実際に出会うが、スキゾイドやASDと一緒にするという発想はあまりなかった。統合失調症と結びつけて考えていたからだ。そして興味深いのは、DSMによればスキゾタイパルは社交不安がある、ということなのだ。とすればスキゾタイパルはまさに「感情制限」を行っているのであり、こうなるとますますドクタースポックは存在しなくなってくるのだ。