2022年11月23日水曜日

感情と精神療法 最終版 ③

 治療における感情以外の様々な要素

治療の進展に関わる要素として、ここまで情緒的な関りについて述べたが、もちろん治療の進展を左右するのは感情だけではない。治療場面で生じるあらゆる現象が治療の進展に関与する可能性がある。そもそも何が治療効果を及ぼすかは、来談者の訴えやニーズがさまざまに異なるという現実を抜きには語れない。彼らは時には黙って話を聞いて欲しいと望み、または積極的な勇気づけを求め、時にはアドバイスを必要と感じ、また場合によっては治療者を怒りのはけ口にするだろう。これらのニーズをきわめて大雑把に表現すると、来談者はある種の心のあり方の「変化」を必要としていると言えなくもない。これまで気付かずに繰り返してきたある種の思考や行動ないしは感情のパターンが何らかの形で改変されることで、心の苦しさを軽減したいと望んでいるのだ。しかしその「変化」はどのようにして治療状況で生み出されるのだろうか?
 精神分析家の村岡倫子は「ターニングポイント」(村岡、2000)という概念でこのような機会について論じている。それはしばしばある種の偶発的な出来事に端を発し、あえてそれを仕組んだり計画したりすることはできない。しかしそのうちのあるものは強いインパクトを来談者に与え、それが治療の進展につながる。そして感情の議論とのつながりで言えば、このような出来事はある種の感情部分をほぼ必然的に伴う。ただしそれは陽性の感情とは限らない。痛みかも知れないし、羞恥心かもしれないし、ある種の罪悪感かも知れない。しかしともかくもある体験がしっかりと記憶に残るためにはそこに感情が伴うことで中脳の扁桃核というが賦活され、刻印が押される必要があるのだ。そしてそれが偶発的に生じる以上、私達がそれをコントロールすることは概ね不可能である。さらにはある偶発事がターニングポイントだったかどうかは、後になって判断する以外にない場合も多い。
 たとえば治療者がある何らかの都合によりにセッションに遅れて到着し、それを不満に思った来談者との間で感情的な行き違いが生じるとしよう。普段は感情の動きや表現の少ない治療者は、その時はいつもの落ち着きを失い来談者に率直に謝罪をしたとしよう。それが来談者に与える印象は実に様々なである可能性がある。ある人にとってはそれが治療者を一人の過ちを犯す人間としてとらえ直すという新鮮な体験になるかもしれない。しかし別の来談者はその謝罪を表面的で芝居じみたものと感じるかもしれない。いずれにせよこの偶発事はそれまで静かだった治療場面という湖面に投げ入れられた石による波紋となるだろう。そしてこれが治療の転機になる場合もあれば、破綻に繋がる場合もあるのだ。治療者はターニングポイントに繋がるような偶発事をいかに見逃さないかということに、その臨床力を発揮することになるのであろう。その意味では偶然事と治療者との関係は、予想外の結果を発見に繋げるセレンディピティに類似しているのだ。

 治療者に出来る努力 ― 転移を活性化すること

  以上はターニングポイントに結びつくような偶発的な出来事は多くの場合治療者の側がコントロールが及ばないという議論であった。しかしここで治療者が一つできることがあるように思う。それは来談者に治療者という人間を知り、関心を持ってもらうということだ。それにより治療状況をターニングポイントがより生じやすいような場に変えることが出来るかもしれない。フロイトは治療者がより謎めいて神秘的に見えるためには治療者が匿名的で受け身的である必要があると考えた。しかしそれだけでは不十分であるだけでなく、逆効果かも知れないのである。
 改めて考えよう。人が他者に興味を持ち、その考えを知りたくなったり、会話をしたくなったりするのはどのような場合なのだろうか? そこには様々な要素が働くはずだ。その人の書いたり言ったりしたことを知って、共感を覚えるという場合もあるし、その人の話に大きな興味をそそられ、もう少しその考えを知りたいということもあるだろう。私達がこれまでに関わった友人や恋人を思い浮かべよう。私たちは数多くの人々の中かから自分が一番興味を持った人を選んだのだろうか。おそらくそればかりではないだろう。私達はたまたまその人と話す機会を得たり、その人の素顔を知る機会を得ることで、もう少し深くその人を知りたいという興味がわいたはずである。
 例えばあなたが大学であるゼミを受講したものの、さほど大きな関心を憶えず、退屈さを感じていたとする。ところがある日そのゼミ担当の先生に「これを読んで御覧なさい」と何気なく彼の著書を渡されたとする。仕方なく読んでいるうちに、その先生の研究分野には予想もしなかった深みがあり、またその先生に人間味を感じ、そのゼミにも興味を持つようになったとする。この例ではあなたがある人をより深く知ることで、それまでは潜在的にしか興味を持っていなかったその人への興味が生まれたことになる。
 このことを治療関係に当てはめてみよう。来談者が治療者にそのような意味での深い興味を持つとしたら、彼の思考や言動は治療者に聞いてもらい反応を期待するものとなる。治療時間はもはや退屈なものではなくなり、治療者との関係の中で自分を見出す一つの大きな機会になる。その中で「変化」の兆しも生まれるであろう。もちろんこれはいわゆる「転移神経症」の成立にすぎないが、治療場面は小さな波紋を間断なく生み出す場にもなるのである。
 もちろんこのことは治療者が自分の人となりを伝えるために来談者に向かって盛んに自己表現を行うべきであるということを意味していない。しかし治療者が匿名性と受け身性を守ることでこのような機会を逃す可能性もまた注意すべきであろう。
 私が言いたいのは、治療者についてより深く知ることが、患者の「治療の妨げにならない陽性転移」を深めるとした場合、それは治療者と来談者の間の治療的なダイアローグで生じるべきことであるということだ。そのもっともよい機会は何か。その一つの候補としてピーター・フォナギーら(Fonagy, et al.2002)のメンタライゼーションが考えられるというのが現在の私の立場である。
 感情と精神療法というテーマで書いたこの論考は、「治療には感情の要素が伴わなくてはならない」というシンプルな結論には行きつかなかった。しかし回りくどい言い方にはなったが、患者が治療者に向けた感情は治療の進展に決定的な要因となり得ることについて、そして本来は偶発的なその様な要素に対して治療者がどの様な姿勢で臨むべきかについて、そしてそのために治療者が持つべき心構えについて書くことになった。もっと論じたいところであるが、紙数の関係でここまでにしたい。

 文献

Alexander, F., French, T. (1946) Psychoanalytic Therapy. Principles and Application. The Ronald Press, New York.
Balint, M. (1968) The Basic Fault. Tavistock, London. (中井久夫訳. 治療論からみた退行-基底欠損の精神分析. 金剛出版、1978.)
Fonagy, P., Gergely, G., Jurist, E.L., Target, M. (2002). Affect regulation, mentalization and the development of the self. New York; Other Press
森茂起(2018)フェレンツィの時代-精神分析を駆け抜けた生涯.人文書院. 
村岡倫子(2000) 精神療法における心的変化--ターニングポイントに何が起きるか. 精神分析研究. 44 (45), 444-454.