2022年11月22日火曜日

感情と精神療法 最終版 ②

 治療における陽性の感情への注目

フロイトが100年前に至った上述の考えは、私には至極もっともで常識的なものに思える。精神療法においては患者はしばしば様々な感情的な反応を起こし、治療者もかなり巻き込まれる可能性がある。そしてそれは様々な治療上の展開を生み、思わぬ成果につながることもあれば、治療関係の決定的な破綻に至ることもある。その経過の多くは予想不可能で、またある患者との間でうまく行った扱い方がほかのケースでは逆効果だったりする。その意味で強い感情を扱うことは治療的にはハイリスク、ハイリターンであると言えよう。その点来談者が治療者に穏やかな陽性感情や信頼感を抱いていることは、その治療関係がその後も継続し、実り多いものとなるためにはとても大事なことなのである。
 ただし精神分析の歴史では、感情の持つ意味合いを高く評価して臨床に積極的に応用する立場も見られた。その代表としてフェレンチと、フランツ・アレキサンダーを挙げてみる。
 フェレンチはフロイトの弟子であったが、きわめて野心的であり、師匠の提唱した分析療法をより迅速に行う方法を考案した。その中でも「リラクセーション法」は患者の願望を満たし、より退行を生むことを目的としたものであった。フェレンチはさまざまな事情から晩年はフロイトとの決別に至ったが、弟子のマイケル・バリントの「治療論からみた退行」(Balint,1968)という著書によりその業績がまとめられている。それによればフェレンチは患者の願望をとことん満たすことで患者の陽性転移を積極的に賦活したものの、その一部は悪性の退行を招き、悲惨な結果を生むこともあった。フェレンチはエリザベス・サヴァーンという患者の要望を聞き入れ、彼女との相互分析(お互いを分析し合うこと)を行った(森、2018)。しかしそれによりサヴァーンの症状をより悪化させただけでなく、フェレンチ彼自身の悪性貧血による衰弱を早めたとされる。
 もう一つの試みはアレキサンダーによるものだった。アレキサンダーはハンス・ザックスに教育分析を受けたのちにアメリカ合衆国に移り、シカゴ大学で精神分析理論を自分流に改良した。彼も精神分析プロセスを迅速に進める上で様々な試みを行ったが、その中でも「修正感情体験」の概念がよく知られる。彼は幼少時に養育者から受けた不適切な情緒体験が治療者の間であらたに修正された体験となることで、分析治療が迅速に進むと考えた。アレキサンダーはV.ユーゴ―の小説「ああ無常」の主人公ジャン・バルジャンを例に示す。ある教会で燭台を盗んだジャン・バルジャンは、警察の調べを受けるが、その際に司祭が「それは自分が進んで彼に与えたのだ」と答えた。最初は司祭に対して厳しく懲罰的なイメージ(いわば転移に相当する)を持っていたであろうバルジャンは、司祭との間で幼少時とは全く異なる(修正された)感情体験を持ったことになる。これが「修正感情体験」の例であるが、アレキサンダーはまた、患者に対して叱ることのなかった親とは異なり、叱責をして治療を行ったという例も挙げている。 

禁欲原則の持つ弊害とトラウマ理論

 以上のフェレンチやアレキサンダーの試みにおいては、特に陽性の感情を積極的に喚起することが意図されていたが、従来の「伝統的」な精神分析においては、そのような試みが必ずしも好意的に受け止められることはなかった。そしてその背後にはフロイトの掲げた「禁欲規則」に見られたような、患者に満足を与える事を控えたり抑制したりする傾向があり、それと深く結びついていた。
 すでに述べたとおり、フロイト自身は「治療の進展にとって妨げにならない陽性転移」の重要性を説いていたが、治療者が患者と個人的な関係を結ぶことについてはそれを戒め、フェレンチに見られるような患者との境界侵犯についてはその危険性について強く諭した。そしてこのような受け身性や禁欲規則を背景に転移の治療への応用が正統派の精神分析とされた。その結果として治療場面における陽性の転移は多くの場合抑制することとなった。自らについては一切語らず、治療の多くの時間を黙って患者の話に耳を傾ける治療者に対して、患者はネガティブな感情を持つことも少なくなかった。それは一方では患者が抑圧していた攻撃性を自覚し表現することに繋がった。しかしそれはまた患者が過去に受けた不十分な養育環境を再現してしまう可能性も意味していた。そしてその可能性と問題点を積極的に示してくれているのが最近のトラウマ理論であった。
 現代の精神療法においては、来談者の多くにより語られる幼少時、あるいは思春期における性的、身体的、及び心理的なトラウマについてますます焦点が当たるようになって来ている。最近発表されたICD-112022)に組み込まれた複雑性PTSDの概念やアラン・ショア(Schore,2009)により示された「愛着トラウマ」という概念(すなわち母親との愛着が十分に形成されたかった過程を一種のトラウマとして理解する立場)が注意を喚起しているのは、多くの来談者の成育歴に愛着の欠損が見られる可能性である。その場合治療状況が再トラウマ体験となることがないような、十分な安全性やそれに基づく陽性の感情が醸し出されることの必要性である。この様な考えは精神分析の内部においては従来いわゆる「欠損モデル」としてフェレンチやバリントにより提唱されていたものの、これまで十分な注意が払われてこなかった視点である。そしてこの視点は従来の精神分析が要請していた禁欲、あるいは受け身的な治療者の態度との間に大きな開きがあるのである。フロイトの言った「治療の進展にとっての妨げにならない陽性転移」は治療の進展を保証するのみならず、治療が成立する際の前提とさえ考えられることになるのだ。